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2017年9月1日のブックマーク (5件)

  • かほく市ママ課「独身税」提案 財務省主計官と懇談 - 北國新聞

    子育て中の女性でつくる「かほく市ママ課」と、財務省の阿久澤孝主計官(元石川県総務部長)の意見交換会は29日、かほく市役所で開かれた。ママ課メンバーは「独身税」の創設や医療費削減に関する思いを伝えた。 ママ課は市のプロジェクトの名称で、30〜40代の女性7人が参加した。メンバーが「結婚し子を育てると生活水準が下がる。独身者に負担をお願いできないか」と質問したのに対し、阿久澤氏は「確かに独身税の議論はあるが、進んでいない」と述べた。課員はこのほか、健康な高齢者が多い自治体では税負担を下げる仕組みの導入や、たばこ税増税などを提案した。 冒頭、阿久澤氏が国の財政状況や社会保障費が増える見通しを説明した。「北陸財務局キャラバン」の一環として企画された。

    かほく市ママ課「独身税」提案 財務省主計官と懇談 - 北國新聞
  • 保険業界で働く私が医療保険に入らない理由 | 保険の教科書

    私たちは、お客様のお金の問題を解決し、将来の安心を確保する方法を追求する集団です。メンバーは公認会計士、税理士、MBA、CFP、相続診断士、住宅ローンアドバイザー、行政書士等の資格を持っており、いずれも現場を3年以上経験している者のみで運営しています。 はじめに|私が入っている保険 まず、私が医療保険に入っていない理由をお伝えする前に、私が入っている全ての保険とだいたいの保険料をお伝えします。 アラフォー独身で、給料は同年代のサラリーマンの方の平均的な額をもらっています。都内の賃貸マンションで一人暮らしです。 そして、私は保険を3つに分けています。 病気や働けなくなった時のための保険 万一の場合に両親の老後の面倒を見られない代わりの生命保険 老後のための貯蓄 このうち、注目していただきたいのは、「病気や働けなくなった時のための保険」です。 【病気や働けなくなった時のための保険】 保険料合計

    保険業界で働く私が医療保険に入らない理由 | 保険の教科書
  • なぜ北朝鮮に文句を言わないのか | 地政学を英国で学んだ

    今日の横浜北部は曇っておりまして、かなり涼しくなってます。 さて、久々にコメントを。 つい先日の話ですが、夏休みがもう終わろうという8月29日の早朝に、北朝鮮が津軽海峡上空を越えて弾道ミサイルを発射しました。 これによって全国瞬時警報システム(Jアラート)というシステムが作動し、主に東北を中心に携帯電話などから警告が鳴り響いたり、鉄道各社が運行を見合わせるなど、一時的に日各地で混乱が発生しました。 もちろんこのニュースを聞いて 「またミサイル発射実験か」 と感じたかたもいらっしゃるとは思いますが、今回が前回までと違ったのは、北朝鮮が予告なしに実験を行い、しかもJアラートが実際に鳴らされたという点です。 とりわけこのJアラートの作動は、それを聞いたほとんどの国民に対して「警戒すべきだ」という心理的なインパクトを与えたように思えます。 幸か不幸か、私の住んでいる地域ではJアラートは発動しなか

    なぜ北朝鮮に文句を言わないのか | 地政学を英国で学んだ
  • いつの間にか国は「事故が起きたら原発周辺住民の被曝はやむなし」に政策転換 原子力規制庁に直接確認したら本当だった|烏賀陽(うがや)弘道/Hiro Ugaya

    万一、再び福島第一原発のような事故が起きて、放射性物質が周辺に大量に漏れたとき、次回は国は原発付近に住む住民をどう避難させるつもりなのか。これは同事故を発生時から取材し続けている私のような記者にとって、もっとも重要な関心事のひとつだ。同事故では、国の失敗から、23万人が放射性物質に被曝するという最悪の結果を招いたからだ。 洪水や土砂崩れのような「一般災害(知事や市町村長が避難指示を出せる)と違って、原子力災害では国(内閣総理大臣)が避難指示を出す権限を持っている。指揮命令ラインが長い。 福島第一原発事故では、それがトップから末端に至るまでミスに次ぐミスの連続で惨敗に終わった。過去6年半の報道でも明らかになっている。私も、これまで地元の避難民、市町村長や国(政治家・官僚)など当事者へのインタビューで、その失敗の連鎖を明らかにしてきた。 では、そうした失敗から、国は住民避難政策をどう改めたのか

    いつの間にか国は「事故が起きたら原発周辺住民の被曝はやむなし」に政策転換 原子力規制庁に直接確認したら本当だった|烏賀陽(うがや)弘道/Hiro Ugaya
  • 追悼文をやめて何を得るのか

    小池百合子・東京都知事が、毎年9月1日に開催される関東大震災の朝鮮人犠牲者の追悼式に追悼文を寄せることを取りやめる判断を明らかにした(こちら)。 個人的な話をすると、私は、子供の頃から、入学式であれ卒業式であれ、あるいは結婚式や告別式も含めて、とにかく式と名のつくものが苦手で、その種の式の中で読み上げられるスピーチや挨拶や訓話のたぐいも一貫してきらいだった。 その流れからすると、恒例だからという理由で毎度同じ調子で読み上げられる形式的な挨拶やら呪文やらスピーチやら経文やらを廃絶する判断には、来なら、諸手を挙げて賛成したいところだ。 ただ、今回の追悼文は、「これは形式だから」みたいなことで省略して良いものではないと思っている。 というのも、震災後に関東各地で多発した朝鮮人虐殺は、わが国の歴史上の汚点であり、わたくしども日人が定期的に思い出さなければならない苦い教訓だと考えるからだ。 虐殺

    追悼文をやめて何を得るのか
    rikuzen_gun
    rikuzen_gun 2017/09/01
    中韓ヘイトの極右さえ振り切れた国会議員の増加で目立たなくなってるけど、小池氏は少し前までは自民党の最右派に近い位置だったから、自虐の美麗文句を用いての歴史修正主義に積極的なのは、全然不思議じゃなく馬脚