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ブックマーク / plagmaticjam.hatenablog.com (4)

  • いかにして恋愛は理性的なものへ落ちたか~弱者男性論とフェミニズムのマッチポンプ~ - メロンダウト

    デビットライス( id:DavitRice )さんの記事を読んで思ったのだけど、こういう社会的文脈での弱者男性女性論ってそもそも論として違和感がある。 gendai.ismedia.jp 実際問題として統計上、恋愛しない人が増えているうえに少子高齢化も喫緊の問題なので恋愛が社会的な文脈で語られるのはわかる。しかし恋愛を社会的に語れば語るほど「語るに落ちる」ことになっている。 大前提として人間は社会の駒である側面と、そうでない側面を持っている。仕事などは前者の側面のほうが強いが、恋愛は後者の領域なので社会的駒としての文脈で語るとおかしなことになる。 恋愛を過度に社会的なものとして語ると恋愛が社会に飲み込まれてしまう。実際にマッチングアプリなどではそういう「社会的駒としての恋愛」が日常になっているのを見るにつけ、すでに恋愛恋愛ではなくなり、取引になっている側面があることはみなが感じていること

    いかにして恋愛は理性的なものへ落ちたか~弱者男性論とフェミニズムのマッチポンプ~ - メロンダウト
  • 理性至上主義と化した恋愛市場ではかわいいとすら言ってはいけないのである() - メロンダウト

    なんだろうな note.com 現実的な話としては同意するのだけど、どこか違和感がある。 ようするにこれって女性の気持ちを理解しましょう系の話で、非モテ論争なんかでさんざん言われてきたものに近い。 「女性にかわいいと言わない」は恋愛工学でも似たような手法があったのを覚えてる。うろ覚えだけど以下 合コンなどで女性2人と事している時にターゲットの女性とは話さないで自らは別の女性と楽しそうに話す。ターゲットから話しかけられてもそっけなく対応し、事が終わったあとにターゲットにアプローチする。(なにか具体的なセリフかなにかあったけど忘れた) これが効果的らしい。実践したことはないから知らんけど。 あと恋愛工学では褒めるよりも効果的な罵倒を使うことが推奨されてる。普段言われていないだろうことを冗談めかしてあえて言うことは効果があるらしい。恋愛工学におけるこれらの戦略と上記noteのかわいいと言わな

    理性至上主義と化した恋愛市場ではかわいいとすら言ってはいけないのである() - メロンダウト
  • 怒りが適切的発露に限定された結果としての非モテ論 - メロンダウト

    非モテ論についてだけどこれほど論理的に話さなければいけないほどのものなのか?という疑念が常にあるのだ。いつから恋愛恋愛をやめたのだろうかと。 モテる人とモテない人に分断されると当然ながら社会不安は増大する。自分にはパートナーがいないのにあいつは幸せに生きていてと嫉妬するのは当たり前の心の動きであるが、そんな当たり前の感情を当たり前に発露することができないのが現代社会の歪さではないだろうか。そんなことを思う。 嫉妬や怒りや不幸をそのまま発露することは社会的には非礼だとされ、未熟な人間だと軽蔑される。アンガーマネージメントだったり自己管理能力といった言葉が取りざたされており、それを身に着けることがまるで良い人間であるかのような風潮があるが、それらの能力が重宝されるのは逆説的に社会がそういう人間(怒りや嫉妬をコントロールできない人間)を許さなくなっているからだろう。理知や道徳を社会に敷衍したこ

    怒りが適切的発露に限定された結果としての非モテ論 - メロンダウト
  • きもくて金のないおじさんと慰めのプラグマティズム - メロンダウト

    はてブのトップエントリーにあがってきたきもくて金のないおじさんと多制に関する記事を読んでいました。 koshian.hateblo.jp 当該記事の中できもくて金のないおじさんでも慰みがあれば犯罪者予備軍にはならないということが書かれており、すこし、めずらしく、記事を読んで考えていました。 論理としては記事内で書かれているように秋葉原の連続刺傷事件屈を爆発させた人間の犯罪だから慰みで屈を麻痺させ、犯罪に手を出させないようにしようというのはよくわかります。 しかしそれって誰にたいしての慰めなんだろう・・・その人物が望む人生懐(こっ恥ずかしい表現であるが)ではない慰みを与えることによって一時的に屈を忘れ静かになるその静かさは社会が求める静かさでしかないように思う。 アニメやアイドルを批判する人の質的な理由もここにありそうである。 人間的感情は代替物による慰めに寄ってはいけないと

    きもくて金のないおじさんと慰めのプラグマティズム - メロンダウト
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