「倫理」も欲望されうる。 「倫理」への欲望を一概に欲動(的なるもの)としてはならない。 「美学」も「倫理」も、欲望が譲歩することなくなされ続ければ、それはやがて欲動化していく。 このときの様態が異なるだけである。 「美学」へのそれの欲動化はたとえば「破局」的なものであり、「倫理」へのそれの欲動化はたとえば「希薄化」的、という表現がいいだろうか。 カタルシスかナンセンスか、的な。違うか。ごめんボキャブラリー乏しい人間なので勝手に連想してくれ。 まあそりゃな、速度で言えば、「倫理」への欲望の方が欲動化していくのが速いのかもしれんよ? でもそれだけのことだろ。 どっちもいきつく先は抑鬱。 だから何度も言ってるのに。「想像的か象徴的か」という問題に囚われてはならない、と。「幻想的か現実的か」という問題だ。 いやお前が「想像的か象徴的か」を問題にするのはいい。しかしそれをあたかも「幻想的か現実的か」