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ブックマーク / mattune.hatenadiary.org (20)

  • のんのんびより2話〜錦織博の距離感〜 - まっつねのアニメとか作画とか

    のんのんびよりは1話も、 その「圧縮演出」に心打たれたのですが、 2話はさらに俺好みな錦織演出が! 錦織さんは00年代以後は、 オサレ系バトルモノの仕事ばかりが増えてしまいましたが、 私の中ではやはり、 少女革命ウテナの七実回の人! (参考:http://nextsociety.blog102.fc2.com/blog-entry-2259.html) シュールなメルヘンこそが錦織さんの領だと思うわけです。 その意味では、 都会人のメルヘンとしての田舎を描いている「のんのんびより」は まさに錦織さんにうってつけの題材! しかも錦織さんは コンテが脚から変わって良いと言うと、「監督だからでしょ」と返されますが、僕はコンテマンの時の方が変更する事が多いです。話を変えるのではなくて、状況設定をはっきりつくる事で、その場面のリアクションが変わってきます。 https://twitter.com

    のんのんびより2話〜錦織博の距離感〜 - まっつねのアニメとか作画とか
    ritoma3
    ritoma3 2013/10/16
  • ノーマッドはマッドより出でてマッドよりマッドし - まっつねのアニメとか作画とか

    「俺たちに翼はない」以降、元受がなかったノーマッドですが、 ついに新作が! 帰宅部活動記録 これですわ。 今期はこれ。 ノーマッドが俺つばからここまで、ただグロス請けしてたと思うか? 違うんだ。 彼らは確実に吸収していた。 しろくまカフェの技術を! 若手監督の佐藤さんはしろくまカフェのノーマッドグロスで腕を上げてきた演出家。 原作ではチュパカブラだったのを アザラシに変えてくるその発想!完全にしろくまカフェ勢! ギャラクシーエンジェル勢の荒木さんが巨人で全うな作品を作るような世の中でも、 ノーマッドは元来の「GA魂」を忘れずに 作品を作ってくれてうれしい。 ノマドにしてノーマッド。 やっぱり MA347612890GT4078579132R74 マルマルZ17924398TZR二千モジュラー誘導タイプ452963752391MQTOゴールドランチシステムGLS搭載自己判断型タイプダブル・オ

    ノーマッドはマッドより出でてマッドよりマッドし - まっつねのアニメとか作画とか
    ritoma3
    ritoma3 2013/07/15
  • ラブライブ11話で分かったこのアニメのメタ構造 - まっつねのアニメとか作画とか

    ラブライブは11話も相変わらず素晴らしかった。 そしてショックも大きかった。 まずは演出的な話。 やはり京極監督のコンテのセンスが抜群。 11話について言えば、「レイアウト」で表現している部分も多くて これまで以上に、言葉以外での表現にこだわっているように見えた。 レイアウト芸という意味で非常にわかりやすかったのは ことりを隠す。 ことりの表情を視聴者に見せないレイアウト遊びと ことりの「隠し事」というメタファーの両面。 ことりの隠し事としては 「隠し事をしている人間には影を」は実写でも使われる基的な表現。 だからAパートの終わりでも ことりは暗所にいる。 この暗所という表現はことりだけにとどまらない。 例えば、穂乃果と鏡のシーン 冒頭にまず鏡を何気なく出しておいて ライブ直前のシーンへの布石としている。 同じ鏡のシーンでもこの二つのシーンでは意味合いが変わる。 ライブ直前のシーンでは、

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    ritoma3
    ritoma3 2013/03/24
  • たまこまーけっと3話に見る、小川太一コンテ演出の星川孝文っぽさ - まっつねのアニメとか作画とか

    たまこまは俺にとっては1話ごとに見所が異なる変わったアニメである。 1話はなんと言ってもアバンの作画。かつての作画オタクの血が久々に滾った。 2話は脚。吉田玲子さんがけいおんではあまり見せなかった、 「サトジュンっぽさ」「どれみっぽさ」を全面に出してきた。 そして3話はなんと言っても小川太一さんのコンテ演出・レイアウトの素晴らしさだ。 小川太一さんは俺にとっては中二病の時に見てビビッと来てからの このたまこま3話。 とにかくレイアウトが俺のツボだ。 理屈ではなく感覚的に心地の良いレイアウトだ。 そんな風に思って友人と話してたいたら 「そりゃそうでしょ。だって小川さんって完全に星川系じゃん!」 って言われて、 なるほど、間違いないな、と。 どこらへんが星川孝文的か。 一番簡単な部分を書いておこうと思う。 まず、シンプルな横位置・縦位置のレイアウトを基としている点だ。 例えばこれや これ

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  • ラブライブ3話に見る「時間を盗む」 - まっつねのアニメとか作画とか

    ラブライブの時間圧縮的な演出が素晴らしい。 一つはシーン単位での圧縮。 例えば、3話で言えば、 OP明けから 学校玄関前(おそらく登校時)→屋上(直後?)→秋葉原(何時なのか不明)→校門前(放課後) →ほのかの家(ちゃぶ台が片付けてある)→神社(夜) と移動シーンなしで繋いでいきます。 ここまでの連続でのシーンのつなぎはなかなか見ません。 普通であれば、 「屋上へ探しに行くシーン」とか「秋葉原へ移動するシーン」とか そもそも「授業を受けているシーン」とかそういうのが入るでしょう。 でも、このアニメではそういったシーンは一切排除しています。 しかも何気なく見ているとそこまで気になりません。 なぜか。 それは、それらのシーンがこのアニメが見せたいシーンではないからです。 屋上に探しに行くとか、移動シーンとか授業とか、 そういった「段取り」は要らないとはっきり宣言している演出なのだといえます。

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  • たまこまーけっと1話のアバンの作画に関する考察 - まっつねのアニメとか作画とか

    たまこまーけっとのアバンの作画素晴らしかった。 特に1カット目と2カット目である。 これは、田中宏紀の作画を初めて見た時に以来のショックがあった。 ただ素晴らしいというだけではない、エポックであった。 何がエポックだったのか。 1、中割りなしの2コマ全原画、「フル2コマ」であった点 2、3DCGでもロトスコープでもない、手描きでしか出来ない動きの発想をしている点 3、三人のキャラクターがそれぞれアイデンティティを持った動きをしている点 4、アニメらしいポーズで作っていく作画(演算系)でなく タイムライン的な書き送りであった点 ざっと思いつくだけでこれだけある。 まず、1について。 私はこのアバンの1カット目2カット目を見た時にある種不思議な感覚に襲われた。 それは 「こんなに『動いている』アニメ、動きの密度のある作画をいたことがない」 という感覚だ。 私にとってこの密度は初体験であった。

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  • 琴浦さん - まっつねのアニメとか作画とか

    「ゆるゆり」の太田・あおしま・大隅のトリオがAICでやる新作がこれ。 これ、面白れーじゃん!!! 今期は一選ぶならこれじゃん! いや、ここまで見てきた今期のアニメの外れはないんですけどね。 それでもその中でもトップクラスだぞ、この1話は! あおしまたかしさんが盟友「花田十輝」の 「ディスコミュニケーション・幻想」という技を使っていたことと良い、 太田さんが過去のキャラデザ作品であるハートフルアニメ「なるたる」を思い出させてくれたり 大隅さんとあおしまさんだと「まかでみWAっしょい」もあったよね、とか 色々と妄想膨らむ素晴らしい仕上がり。 勿論、小学校時代の描写が「みつどもえ」ぽかったり、 次回からはコメディ路線なんだろうな、というのも含めての バランス感もグッド。 井上喜久子さんの琴浦母も素晴らしいですね。 基的には井上喜久子さんは「口の悪いキレた女」の方が巧いので、 こういう役をもっ

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  • メディアの違いを理解せよ - まっつねのアニメとか作画とか

    「メディアの違いを理解せよ」とは生徒会の一存1期1話の台詞でよくギャグのように使われるが、 この台詞はそんな軽いだけのものではない。 生徒会の一存1期監督の佐藤卓哉さんは、 元々は原画マン出身。 最初はアニメーターとして活躍し、そこから演出・コンテマン、そして監督へ。 さらにそれでは飽き足らずに脚家・シリーズ構成としても活躍している。 こういった例はそんなに多くはない。 宮崎駿さんと吉川惣司さんくらいのものではないだろうか。 つまり、アニメの主要工程を押さえた上での 「メディアの違いを理解せよ」 という言葉なのだ。 ではメディアの違いをどう考えるのか。 それが顕著に現れる部分についての話をしよう。 顕著に現れる部分、 それは「モノローグ」だ。 小説漫画とアニメではこのモノローグの意味合いがまったく違う。 小説漫画というのは時間を支配していない。 1行、1ページあるいは1コマが具体的に

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  • エンジェルビーツの特異性 - まっつねのアニメとか作画とか

    エンジェルビーツは特異なアニメだと見るたびに思う。 アニメ史の一つの特異点だ まず、一番メインの部分だけ見ても、その特異性は図抜けている。 PAワークス、麻枝准、岸誠二。 PAワークスはいかにも00年代のアニメスタジオらしく、 自分の身内だけでアニメを作ることで、 質・思想ともにブレのない作品を作ることを身上にしてきた会社だ。 古巣のIG・ビィートレインそして繋がりの深いボンズのグロスを経て、 トゥルーティアーズとカナーンの元請けへ。 西村純二は押井守の盟友だし、安藤真裕と堀川社長は旧知の仲だ。 IG・ビィートレインそしてボンズのコネを使った2作品。 コンテマンは真下ファミリーの川面・山、付き合いの長い岡村天斎。 そして脚はブレイク寸前だった岡田麿里。 ボンズ・京アニ・ユーフォーテーブルなどもそうだが、 身内だけで作ることで、作品のブレを少なくし、平均点をあげる。 それが00年代的な良

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  • 中二病でも恋をする女の子の未来福音 - まっつねのアニメとか作画とか

    人は何かを見たら、その見た事象を積み上げて予想・予測をする。 それは大抵は自動的なパッシブスキルであると考えられる。 これはいわば帰納的な未来予測と言える。 これと逆に、演繹的な未来予測もある。 つまり、最終形から予測する方法である。 例えば、60キロで走っている車は、帰納的には60キロで走り続けるといえるが、 その先300Mの信号が赤ならば停止するために減速する。 (注記:ブコメでイズミノさんからつっこみが入ったので補足。 この場合、信号が「公理」であり、60キロで走っているのが、 「個々の事象」である。 公理から個々の事象を予測するのが「演繹的な予測」であり 個々の事象から公理を予測するのが「帰納的な予測」である。 また、帰納的な予測はそのまま数学的帰納法的だとも言え、 漸化式的なアプローチであるといっても良い。 逆に演繹的なアプローチは「結論ありき」であり、 以上のような言葉の定義の

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  • 今期の2強・「てーきゅう」と「神様はじめました」〜四十を前に本気を出す - まっつねのアニメとか作画とか

    今期の俺的2強は「てーきゅう」と「神様はじめました」だ。 「テンポ」という言葉は一種のマジックワードになっているし、 はっきりといおう。 この2作品は 「速さが段違い」だ。 しかし、もちろんこの2作品で状況は異なる。 「てーきゅう」はまさに最速への挑戦を行っているアニメだ。 もっとも速いアニメを目指している。 いまだに 「ていねい」だとか 「ゆるさ」だとかにこだわっている作品が多い中で、だ。 今期で面白いのはアニメの「速さ」というものを加速させた人間が同じく監督をやっているということだ。 ここで劇場版ナデシコのパンフレットから佐藤竜雄監督のインタビューを抜粋しておこう ―― (前略)どんな感じの映画にしようと思ってらっしゃるんですか? 佐藤 そうですねえ、「テンポ」と「引っかかり」という感じでしょうか。 ―― どういう意味ですか? 佐藤 テンポよく流れていくけれども、そのわりには、頭には割

    今期の2強・「てーきゅう」と「神様はじめました」〜四十を前に本気を出す - まっつねのアニメとか作画とか
  • TARITARIのもっとも素朴な見方 - まっつねのアニメとか作画とか

    俺にとっての、だけど それは 合唱部=PAワークス である。 では、声楽部は何か。 基はもちろん、プロダクションIGである。 だが、IGとPAをつなぐ間に実は、 二つの別の「合唱部」がある。 それがTARITARIでもグロスとして参加している 「ビィートレイン」と「M.S.C」 現在PAワークスの社長の堀川さんがIGから独立して真下監督と作ったビィートレイン TARITARIのキャラデザの関口可奈味さんが設立メンバーの一人のMSC 彼ら二人にとっての教頭は誰だったのだろうか。 関口さんにとっての教頭は間違いなく黄瀬さん、だろうな。 参考 http://www.pa-works.jp/runner/stance/sekiguchi/sekiguchi-index02.htm 堀川:2スタでは、黄瀬さんってどう云うことを教えてくれるの? 関口:黄瀬さんですか(笑)?えーっと・・・ 堀川:俺の

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  • 声優を聴く三つの要素 - まっつねのアニメとか作画とか

    アニメにとって欠かせない要素、声優。 この声優を視聴者としてどう見れば、いや聴けばいいのか。 その物差しを考える。 最近の声優を計る物差しは ・容姿 ・歌唱力 ・(ラジオやイベント等における)トーク力 などという、およそアニメにおける声優の役割と無関係な要素が使われている。 声優が顔がよくてもアニメには関係し、歌唱力もトーク力も声優の業に必要な能力ではない。 にも関わらずこのような要素で声優を計りにかける 「声優オタク」が多く居る。 その結果 「声優は究極的にはアニメに出演する必要はない」 などという支離滅裂な言説すら飛び出してくる。 ここで、私の考える 「視聴者が聴く上で重要な声優の要素の大区分」を提唱しよう。 1、声質 2、発音 3、演技力 もちろん、「演じるが学ばねばならないこと」はもっと多く存在するが、 分かりやすい部分のみ抽出した。 ○まず、1の声質。 これはもっともわかりやす

    声優を聴く三つの要素 - まっつねのアニメとか作画とか
  • ゆるめいつOVAとTVを比較する実験 - まっつねのアニメとか作画とか

    今期新番「ゆるめいつ3でぃ」の1話がなかなか興味深い。 資料的・研究的な価値のある話数だった。 この「ゆるめいつ」にはすでに原作に割りと忠実なOVA版がある TV版とOVAとは ○尺が同じ(3分、OPが15秒差) ○台詞がほぼ同じ ○声優が同じ とほぼ同じ「内容」なのだが、 その視聴した印象はかなり違う。 ここに「演出」という大きな差があるからだ。 それが顕著に出ているのが、最後の台詞だろう 「無法者です」 という台詞の言い方はまったく正反対 OVA版が低い声でいかにも「この人たち迷惑だな」って感じで言っているのに対して TV版は高い声のまま何かを悟ったような言い方に。 画面の方も OVA版 TV版 根的に違った画面作りになっている。 「明るい/暗い」はもちろん、 ゆるめちゃんの立ち位置の「上手/下手」に注目してもいいだろう この演出の違いは、放送形態の違いを受けていると考えるのが自然だ

    ゆるめいつOVAとTVを比較する実験 - まっつねのアニメとか作画とか
  • (エイプリルフール)『ひだまりスケッチ』の問題点 カラー原稿のモノクロ化問題 他作家の例 - まっつねのアニメとか作画とか

    ※この記事はエイプリルフールネタとして、karimikarimiさんと交換アップしたものです。 なので、以下の記事はkarimiさんの記事で、karimiさんのところのが俺の記事なります。 みなさん、わかりましたか? もうね、『雑誌掲載時はカラーでした』ってネタ見るの嫌だ。我儘かもしれんけど、作者の表現したいことを切り捨てるってな勿体無さすぎる。 Twitter / @FlowerThief ひだまりスケッチのページは1/5ぐらいはカラーだから単行すごい微妙なのよね。所有欲が満たされない。きららキャラット購入してた理由の動機の一つで、スクラップにしてたり。 Twitter / @wakarahenn 私は『ひだまりスケッチ』が大好きです。上の写真であるように、単行も全て持っていますし、きららキャラットの購読もほとんど『ひだまりスケッチ』の為と言っても過言ではありません。そんな、私ですが

    (エイプリルフール)『ひだまりスケッチ』の問題点 カラー原稿のモノクロ化問題 他作家の例 - まっつねのアニメとか作画とか
  • 新房昭之のアニメスタイル・シャフトのアニメスタイル・山内重保のアニメスタイル - まっつねのアニメとか作画とか

    月刊アニメスタイルの新刊を読む。 全体的にはちょっと欲求不満だったけど、 新房監督のインタビューは面白かった。 新房さん・幾原さん・山内さんというのは なんというかかなり近いフィールドにいるイメージなんですよね。 それは表現主義と言ってもいいかもしれないし、 出崎統的と言ってもいいかもしれない。 でも、その中で、「自分のスタイルを貫くか」「プロデューサー的な意識を持つか」 という違いがはっきりとある。 幾原さんはそういう意味では新房さんよりも早く、 「プロデューサー的な意識」を持っていたように思う。 幾原監督は他人のアニメの分析も的確に行うし、 それは師匠筋の佐藤順一監督の影響かもしれない。 そういう意味で、幾原さんが00年代に沈黙していたのはまったくの正解というか 「護身の完成」的なところがあって、 ピンドラが00年代に放映されても恐らく見向きもされなかったんじゃないかと思う。 良くてゼ

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  • 輪るピングドラム14話〜ナナメの美学〜 - まっつねのアニメとか作画とか

    世の中のものは「真っ直ぐ」であることが良いことだと思われている。 それの証拠に、このブログだって真っ直ぐの線で構成されている。 真っ直ぐは普通。 そうであるがゆえに、 「ナナメ」というのは、人の心をかき乱し、時には興奮させる。 そのもっとも有名なものが、誰でも知っているこれだ ピサの斜塔は傾いているがゆえに、塔の機能としては欠陥品であるにも関わらず 価値があり魅力がある。 この「ナナメ」の効用を存分に発揮する演出家たちがいる。 アニメにおける「ナナメ」演出は枚挙に暇がない。 例えば過去のキャプを流用すると こんな感じ。 出崎さんの見事なナナメっぷりは今更説明を要しないが 細田守こと橋カツヨも 「縦位置と横位置の徹底」という演出スタイルが特徴的に語られることが多いが、 ここぞという時はきっちり「ナナメ」を使ってくる。 この文脈で言えば、最近いわれている「シャフ度」なる代物も ナナメ演出の一

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  • 新房監督と幾原監督 - まっつねのアニメとか作画とか

    さて、ピングドラム1話放映以降、この二人のどっちがどっちのパクリだ という議論が盛んに行われているという。 前にも 「新房シャフトはウテナのパクリ」なんていうことを言っている人がいたが、 ここらへんが 「新房シャフト」という考え方の限界だろう。 俺の認識としては 二人はアニメの歴史の中では「同期」であるという認識だ まったく別のところ出てきて同じような道を途中まで歩んでいた 似た者同士と言ってもいい ●セーラームーンと幽☆遊☆白書 さて、幾原監督について話す時に、まず出てくるのがセーラームーンであろう。 彼は、個性溢れる演出スタイルが特徴だが、 原作モノをそのバックボーンとしている。 しかも、今の深夜アニメのような原作ではない。 3大少女漫画雑誌、しかも当時はその中でもトップであった。 そういう原作モノの中で、 彼はその個性を遺憾なく発揮し、 注目を集める。 最初に注目を集めたのは セーラ

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  • ピングドラムの演出を語る上でのフレームワーク - まっつねのアニメとか作画とか

    演出というものは、決して物語だの脚だの思想だのテキストだのを伝えるための道具ではない。 そこに囚われた00年代人にはピングドラムの演出について言語化するのは難しいんじゃないかと思う。 演出は感情から発され、感情を揺り動かす 忘れるんだ、物語を そこで有効なのが 「コンテ」「光」「時間」「音」 というフレームワーク ここでいうコンテというのは、絵コンテを念頭におきつつも 原義である「continuity(連続性)」の意味を多分に含む。 ざっくりとまとめれば、 「光」と「時間」と「音」の「連続性」 に注目する方法論。 例えば、簡単な「光」の話 ここ以降、 「白」のシーンと「黒」のシーンが交互に積みかねられている 音楽の特異性というのはわかりやすい、 デザインの面白さにも目が行く。 しかし、その一方でこのシーンは「光」でテンポを作っている 時間軸を作っているシーンである。 感情を揺さぶる「光」

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  • ロウきゅーぶ - まっつねのアニメとか作画とか

    動きのレベルでのバスケットの作画って、 かなりよくなってきたよなぁ OPのバスケのバックロールの ところは宮澤さんの原画かな? 良い動きしてるなぁ 例えば、バックロールの時の手首の使い方とかね (参考) 経験者ならわかると思うけど バックロールのときにボールは手首で引き寄せることで ターンするので、 上でいうところの三枚目の絵がすっごい重要なわけです。 もっとも理想を言えば、 ターン後は左でドリブルしてもらいたいが、 そこは 「小学生ゆえの左ドリブルの不得手」と 好意的に捉えられなくもない。 ああ、男の方のディフェンスは論外。 もっと腰を落とさないと。 こいつ、多分高校の部活では「ディフェンスに難あり」って感じでしょうね でも、オフェンスはきっと巧いんでしょう。きっと あとはOPでいうと ここらへんとかも良いですね。 何が良いって 「パスした後に手の平が外側を向いている」ところですね。 こ

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