戦後、忘れられた「戦争の傷跡」 忘れもしない。小学校に入学した最初のプールの授業、その日は曇っていて寒かった。痩せて小さな身体だった私はぶるぶると震えながら先生や生徒たちと水に浸かっていた。そのとき、担任の横にザブンと大きな身体の老人が入ってきた。 「水練」が得意という、今考えればずいぶん歳のいった教頭先生だった。小さな私の横に、恰幅のいい教頭先生が水をかいて近づく。その場面は40年近くたった今も鮮明に覚えている。水に立ち上がり、さあ泳ぎを教えようとする優しい先生の太鼓腹には、胸元からヘソの下まで大きく、とげとげとした波紋の形に傷があった。それは水泳パンツの中にまで達しているらしかった。脇腹や腕のあちこちにも傷が散っている。子供心にも、あまりに痛々しい。幼い私は何の遠慮もなく聞いてしまった。「それどうしたの?」 教頭先生はやさしく答えた。 「戦争でやられちゃったんだよ」 彼は、元傷痍軍人だ
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