ま、たいしたこと書くわけでもないが。メモ。 吉本的にいえば、共同幻想というのは発生してしまうもの。宗教と同じ。そしてそれが国家ということで、国家というのは宗教と同じと言ってよいことになる。 他方、いわゆる西洋的な民主主義の考えでは、国家は国民から貸借関係的に疎外されるのだが、それは結果論というか後付的な説明なのか? 国家の機能は一つには、社会から個人=市民を守ること。というか、個人=市民は国家がなければ社会に抹殺されかねない。その個人=市民というのは、むしろ、国家と共時的に発生しているとしかいえない。 超国家において市民は比喩以上には成立しない。つまり、世界市民的な概念は成立していない。その希求があるにせよ、国家から超国家への移行はその統合なり基盤としてはできていない。 逆の方向からいえば、超越的な正義、というものは成立しづらい。 ただ、国家の機能は、その内部の国民=市民からは、正義の希求