どうもこんにちは 今日もプリントがある 今コピーしてもらっている 授業がネットにアップされるという状況から逃れられると思ったんですが、 ICレコーダで録音していたらしく、 本人がいなくてもアップされる ひどいもんだ 毎年同じことをやれと言われているからやる気がなくなるのだということが分かった この際あまり考えず毎年新しい講義をするのがいい 昨年まではポストモダンとは何かという話から、如何にも教科書的なことをやっていたが 今回は軽めでいく 『リアルのゆくえ』の話から入って、動物化と公共性の話 動物化 コジェーヴの仕事から引いている コジェーヴも味わい深いから読んでみよう、というのが前回まで - 『動物化するポストモダン』では大澤真幸さんの話と絡めて話をしているから 大澤さんの文章を読んでみたい プリントが来ないので、まず大雑把な話 ・日本的スノビズム ・アメリカ的動物 2つのポスト歴史の可能
分量的に本書の大部分をなしているのは、特定の論者(ラカン、クリステヴァ、イリガライ、ボードリャール、ドゥルーズとガタリ等々)の特定の文章――科学用語を乱発した個所――について、それが物理学や数学の無理解に基づいた言葉の乱用だということの暴露である。 この側面に限定していえば、おそらく大半はソーカルらのいうことが正当なのだろうと思われる。読者たる私がよく分からない現代科学上の事柄に関して、「おそらく正当なのだろう」と思うのは、ただ単に、著者たちが専門の科学者(物理学者)で、批判される側が自然科学については素人だから、というだけの理由ではない。もしそれだけの理由でそう考えるなら、それは「専門家の権威」を無批判に鵜呑みすることになり、権威主義的メンタリティーのあらわれということになる(本書の読者の中には、そうした読み方をする人も結構いるだろうし、本書が少数の科学者だけでなく広い範囲の読者に読まれ
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