タグ

2009年4月14日のブックマーク (8件)

  • 池谷先生が指南!やる気が出る「脳」のだまし方(プレジデント) - Yahoo!ニュース

    池谷先生が指南!やる気が出る「脳」のだまし方 プレジデント4月13日(月) 14時55分配信 / 経済 - 経済総合 脳は飽きっぽくできています。「三日坊主」に悩む人が多いのも当然です。解決策は「脳をだます」ことでしょう。一つのポイントは「淡蒼球(たんそうきゅう)」という脳部位です。淡蒼球は「やる気」や「気合」など日常生活で大切な基礎パワーを生み出すといわれています。自分の意思で淡蒼球を動かすことはできません。しかし、ご紹介する「四つのスイッチ」を使えば、淡蒼球を起動させることが可能です。 一つ目のスイッチはBody(身体)。身体は脳の支配下にあると思われがちですが、当は逆で、カラダが主導権を握っています。進化の過程を思い出してください。脳とカラダのどちらが先に発達したか。もちろんカラダです。カラダのない動物はいませんが、脳のない動物はいくらでもいます。脳は進化の歴史では新参者なのです

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/04/14
     「[I] Ideomotor なりきる」ですか
  • Amazon.co.jp: 多読術 (ちくまプリマー新書 106): 松岡正剛: 本

    Amazon.co.jp: 多読術 (ちくまプリマー新書 106): 松岡正剛: 本
  • ■ - hokusyu’s blog

    歴史家がある歴史的証拠に向かうとき、その読み方には2つの立場がある。ひとつは歴史的証拠は現実に向かって完全に開かれているとする、ランケ以来の実証主義的な立場である。それに対して、デリダが「テクストに外部はない」といったように、テクスト=歴史的証拠は現実に対して閉ざされているとするポストモダン的相対主義の立場がでてきた。ヘイドン・ホワイトは歴史叙述においてこの相対主義を推進する。彼は歴史は構築主義的な語りから逃れられえないとして、歴史叙述をレトリックとナラティヴの次元へと還元する懐疑論の立場に立つ。カルロ・ギンズブルグは、実証主義的な、歴史的証拠を「開かれた窓」だと信じる立場には懐疑を示しつつも、ホワイトのいう現実への接近を放棄したナラティヴな歴史叙述も同時に退ける。*1彼によれば結局実証主義的立場とポストモダン的立場の差異は、「現実」と「証拠」の関係を単純に結びつけることから起こる立場の違

    ■ - hokusyu’s blog
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/04/14
    via ギンズブルグ
  • 物語と歴史

    【書名】物語と歴史 【著者】ヘイドン・ホワイト(Hayden White)他 【訳者】海老根宏・原田大介 【刊行】2001年12月10日 【出版】トランスアート市谷分室,東京 【叢書】《リキエスタ》の会,第2期 【頁数】105 pp. 【価格】1,500円(体価格) 【ISBN】4-88752-132-4 【原書】W・J・T・ミッチェル編 1987. 物語について. 平凡社 【書評】※Copyright 2003 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved 「歴史が物語(ナラティヴ)である」と主張してきた歴史家ヘイドン・ホワイトの論考とそれに対する批判ならびに反論を集めた論集である.彼の主著『Metahistory』(1973)の翻訳が遅れている現状では,書は適切な入門書の役割を果たすのではないか. ターゲット論文を書いたホワイトは,冒頭の章において

  • 歪んだガラス - 今日もぐだぐだ

    もろもろ。サボって弁当。筋肉痛はトヨタ的カイゼンを遂げる。 夕中、テレビチャンピオン「全国銘菓通選手権」。嫁がときどきニアピン賞を獲得するのを見て、甘党一族の血脈の恐ろしさを思い知る。来週は「滝通選手権」。勝手にしやがれ。 歴史・レトリック・立証 作者: カルロギンズブルグ,Carlo Ginzburg,上村忠男出版社/メーカー: みすず書房発売日: 2001/04/17メディア: 単行購入: 1人 クリック: 5回この商品を含むブログ (20件) を見る 『チーズとうじ虫』で知られるイタリアの歴史家カルロ・ギンズブルグによる「歴史の物語論」に対する反論。正直なところ、話が結構飛躍気味なうえに、ギリシャ哲学やイタリアの歴史学の事情に疎いので、分からない部分も多々あり。しかし、主張自体は明快だと思う。 歴史史料にはすべて真実が書いてあるとみる古典的歴史学に待ったをかけたのが、ヘイドン・

    歪んだガラス - 今日もぐだぐだ
  • 歴史学関係私的補足

    歴史学関係私的補足司馬遷『史記』桓寛『塩鉄論』陳寿『三国志』カウティリヤ『実利論』トゥキディデス『戦史』『ミリンダ王の問い』カエサル『ガリア戦記』タキトゥス『年代記』『聖書 新共同訳』玄奘『大唐西域記』マルコ・ポーロ『東方見聞録』イブン・イスハーク『マホメット伝』ルーミー『ルーミー語録』イブン・ハルドゥーン『歴史序説』イブン・バットゥータ『大旅行記』馬歓『瀛涯勝覧』宋希環『老松堂日行録』トメ・ピレス『東方諸国記』ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』フロイス『日史』新井白石『西洋紀聞』ブーヴェ『康煕帝伝』デュボア『カーストの民』グリンメルスハウゼン『阿呆物語』ホッブス『リヴァイアサン』モンテスキュー『法の精神』ヒューム『人性論』トクヴィル『アメリカの民主主義』ゴロウニン『日幽囚記』オールコック『大君の都』久米邦武『米欧回覧実記』イザベラ・バード『朝鮮奥地紀行』同『日

  •  カルロ・ギンズブルグ『神話・寓意・徴候』(竹山博英訳、せりか書房、1988年) - The Passing

    カルロ・ギンズブルグ(1939- )の1986年に刊行された論文集。 空間的にも時間的にもかけはなれた歴史的出来事を比較したいという誘惑(=「形態学的」方法)と、時間的・空間的連続性にもとづいた厳密な記述をおこなおうという意志(=「歴史学的」方法)とのあいだのジレンマについて、序文で触れられている。この方法論的なジレンマは、収録されている1979年に書かれた論文「徴候」でもっとも豊かな帰結を導いているように思う。この論文では、細部や痕跡から全体を推論するというパラダイムについて、比較的自由に時代を往還しながらいくつもの事象を類比している。互いに離れた事象の類比とその歴史的関連付けとが互いに緊張関係を孕みつつ、議論が展開していくのを読むと、その先に「時代」という枠組を超えでるような歴史の在り方が仄見えるような気がする(もちろんこの論文の内容については、たとえばジョルジュ・ディディ=ユベルマン

     カルロ・ギンズブルグ『神話・寓意・徴候』(竹山博英訳、せりか書房、1988年) - The Passing
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/04/14
  • Amazon.co.jp: ザ・テレビ欄 1975~1990: テレビ欄研究会: 本

    Amazon.co.jp: ザ・テレビ欄 1975~1990: テレビ欄研究会: 本