というか翌日になって見直す。 オバマ演説と検察審査会の強制起訴が話題。あと秋葉原事件の公判。ざっと読んだがとくに気になる点もなし。オバマ演説は好評だったようだが、全体としては特にどういうことでもなさそう。検察審査会の動向はこれでよいのではないか。秋葉原事件はなぜの解明とかで延々と、現代思想とかお好きなかたの物語が語られるのだろうか。
1月も30日か。くったりとしている。2月はさらに早そうだ。昨日はニュースも特に見なかったが、サリンジャーが亡くなった話は聞いた。90歳を越えていたはずで死去も不思議ということはない。あとは膨大な著作が残されているか、もっと露骨にいえば、ハプワースの後編が残されているかが気になる。ただ、残されていても、もはや文学ではなく、オカルトの類だろうが。記憶ではニューヨーカーの契約が続いているはずでそのあたりからの話があるか。夢はいろいろ見たが、朝歴史の話を聞いているうちに忘れた。戦後の高度成長期というか、吉田内閣から鳩山内閣へのあたりで、言われてみればあたりまえなのだが、逆コースのなかで生産力を上げていくのだが、この高度化の半分くらいは実際には戦前のポテンシャルだったようだ。戦後焼け野原から高度成長というイメージがイメージとしてあったが、GHQのむしろ日本の初期の工業国潰し政策のストッパー解除と非軍
寝坊した。産経新聞一面の梅田さんのコラムが興味深いものだった。思索を深化させていくと逆に読む人が限定されていく。その限定を緩和させると、単純化・図式化が進む。しかたがないとは言える。ネットに掲載されているかと見るとあった(参照)。この問題視点は難しい。 これからのウェブ世界は、こうした欧米の価値観やイデオロギーに強く牽引(けんいん)された「共有地たるグローバルウェブ」(主に英語圏)と、「政治体制や文化・言語圏に閉ざされたローカルウェブ」がせめぎあい、分断されて林立する時代を迎えるのであろう。グーグル中国問題は、そんな21世紀のウェブ進化のひとつの方向性を示唆するものである。 私の考えでは、Google+英語がもたらすインパクトは、文化圏や政治体制のクローズにおけるダイコトミーとは完全に重ならない。私の思索のキーワード「滑らかな浸潤」をふと想起するが、そこまではわからない。ただ、Google
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