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歴史と社会に関するrsc_worksのブックマーク (13)

  • 大統領就任演説を読んで - 内田樹の研究室

    20日、バラク・オバマが第44代アメリカ大統領に就任した。 その就任演説を読む。 そのまま英語の教科書に使えそうな立派な演説である。 アメリカという国が「もともとある」共同体ではなく、国民ひとりひとりが自分の持ち分の汗と血を流して創り上げたものだという考えが全体に伏流している。 その建国にかかわった人々への言葉が印象的である。 For us, they packed up their few worldly possessions and traveled across oceans in search of a new life. 私たちのために、彼らはわずかばかりの身の回りのものを鞄につめて大洋を渡り、新しい生活を求めてきました。 For us, they toiled in sweatshops and settled the West; endured the lash of th

  • お探しのページは見つかりません:ミツカン 水の文化センター・ミツカングループウェブサイト

  • 「征夷」の原像 - 我が九条

    幕府の首長はなぜ「征夷大将軍」なのだろうか。郷和人氏の言う通り鎮守府将軍でも征東将軍でも都督でもよかったのだろうか。結論から言えば確かに武人に対する指揮権を象徴する「将軍」という称号であれば何でもよかったのだろう。頼朝が「征夷大将軍」を選択したのは、おそらくは「将軍」の中でも一番格が上だったから、ということになろうか。 頼朝が奥州藤原氏征伐をどのように位置づけていたのか、については諸説がある。私はこれは一種のセレモニーであったと考えている。源平合戦はセレモニーにするには大きすぎる戦いであった。勝つか負けるかという激越なる戦争の中では武家の棟梁であることを誇示することは出来ない。そもそも頼朝が武家の棟梁になるには源平合戦を勝ち抜かなければならないのだ。源平合戦を勝ち抜いた頼朝にとって、武家の棟梁であることを示す絶好の機会が奥州藤原氏討滅であった。義経を匿った罪は言いがかりに過ぎない。藤原泰

    「征夷」の原像 - 我が九条
    rsc_works
    rsc_works 2008/04/08
    頼朝のセレモニー奥州征伐は秀吉の小田原出兵と同じ。奥州藤原氏の滅亡が北海道史に与えた影響は勉強しておこう。
  • エミシの歴史の終焉 - 我が九条

    「日」がその境界を北進させ続けたのは、北アジアの物品がほしかったからであろう。エミシは「日」の北辺に位置する「日」の外部であり、同時に北アジア交易ネットワークと「日」との結節点に位置していたのである。我々はややもすれば北アジアの社会を「辺境」と捉え、生産力の劣った社会とみがちである。そして農耕社会が成立しなかった北アジア地域において交易ネットワークが成立していることに奇異な感想を持ってしまうかもしれない。一般に交易の「商品」は余剰生産物で発生するものであり、北アジアのように農耕社会が成立しない「遅れた社会」では自給自足の社会が成立していた、と考えがちである。 ハンガリーの経済学研究者のカール・ポランニーは『経済と文明』の中で、我々が「交易」という概念で捉えがちな経済的利益から離れた交易に着目する。それは異文化集団同士の安全保障のための威信財の交易である。異文化集団の間ではとかく文化

    エミシの歴史の終焉 - 我が九条
    rsc_works
    rsc_works 2008/04/08
    とてもわかりやすい東北史 参考文献知りたい。
  • アイヌとは何か - 我が九条

    ここまで「アイヌ」という言葉をずいぶん蕪雑に使ってきた。しかし「アイヌ」とは何か、という問題が閑却に付されてはいけない。 同級生「知里君、北海道ならアイヌを見たかい」 知里真志保「アイヌが見たかったら、このおれがアイヌだよ」 知里「なんで遠い北海道まできたの?」 少年「アイヌが見たかったから」 知里「ナニィッ、アイヌがみたくって!そんならここに立っているこの俺をよくみろ。それで十分だろッ」 この同級生は後に運輸事務次官を経て新東京国際空港公団総裁に就任する。エリートであったこの同級生にとって、第一高等学校の同級生にアイヌがいるとは夢にも思わなかったであろう。また少年にとってはまさか目の前の北海道大学教授がアイヌだとは思いもしなかったことだろう。おそらく彼らの頭の中にはアイヌに関する固定観念が存在していたのであろう。それは彼らだけではなく、今の我々にも存在している。アイヌを「原日人」ととら

    アイヌとは何か - 我が九条
    rsc_works
    rsc_works 2008/04/08
    「アイヌ史は日本史の部分史ではない。」交易民族であるが故に和人との関わりが多かったために日本史にぶら下がった歴史と勘違いする人は多いだろう。
  • やる夫で学ぶ道路特定財源:ハムスター速報 2ろぐ

    1 :1:2008/04/02(水) 12:12:55.26 ID:Hkez3MuH0        ____      /      \    /  _ノ  ヽ、_  \   / o゚((●)) ((●))゚o \   最近はガソリンの値下げが話題になってるお…   |     (__人__)    |   \     ` ⌒´     /        ____      /      \    /  _ノ  ヽ、_  \    でも、暫定税率だとか道路特定財源だとか、分からない言葉ばかりだお…   /  o゚⌒   ⌒゚o  \     |     (__人__)    |   \     ` ⌒´     /        ____      /⌒  ⌒\    /( ●)  (●)\   /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   だから整理してみるお! ちなみに予定レス

    rsc_works
    rsc_works 2008/04/03
    とにかくわかりやすい
  • 歴史上の重要なスピーチがMP3でまとめられているサイト - IDEA*IDEA ~ 百式管理人のライフハックブログ ~

    ドットインストール代表のライフハックブログ

    歴史上の重要なスピーチがMP3でまとめられているサイト - IDEA*IDEA ~ 百式管理人のライフハックブログ ~
  • イタリアンはどうして美味しいの? - 内田樹の研究室

    金曜日は歌のレッスンとゼミと会議。 1年生のゼミはとっても面白い。 今日のテーマは「文化」。 「スローフード」とか「品偽装」とか「べ物」ネタが女子学生たちは好きである。 イタリア料理はどうしてこんなに美味しいのかという剛直球一勝負のプレゼンがある。 もちろん、大学一年生の諸君のプレゼンであるから、どうしてイタリア料理が美味しいのかについて私を納得させられる説明を期待することはむずかしい。 イタリア人はそうやって彼らの伝統的な文化を守っているのですというような定型的なフィニッシュのあとに「それは違うよ」と申し上げる。 まず学生諸君に質問だ。 次の材のうちヨーロッパ原産のものはどれであろうか。 トマト タマネギ オリーブ ジャガイモ キャベツ 小麦 胡椒 唐辛子 ヨーロッパ原産というときの原産はとりあえず「紀元前後にはもう地中海世界でされていた」という「ゆるい」定義にしておいてよ

  • 宗教社会学(前期)[9] 尊皇攘夷とはなにか 山崎闇齊学派と水戸学(橋爪大三郎)

    98東工大文系基礎科目 宗教社会学(前期)[9] 橋爪大三郎 1998.6.19 尊皇攘夷とはなにか 山崎闇齊学派と水戸学 江戸幕府はなぜ儒学を採用したか 日史で、「徳川幕府は儒教を官学とした」と習ったはずです。なんとなく、当たり前のような気がします。しかしよく考えてみると、これは変だ。武士と儒学くらい、ミスマッチな組み合わせはないのです。 儒学は、中華帝国の正統思想。なかでも、宋の時代に起こった朱子学は、古典の新解釈と哲学的な宇宙観とを結合した、当時の最先端思想でした。朱子学の根は、儒学の古典を学び徳を身につけた読書人階級が、官僚となって政治を行なうというもの。幕府は明の真似をして、朱子学を公認し、日国家の指導原理としました。 徳川三百年の平和は、元和堰武げんなえんぶのおかげでした。もともと対立関係にあった大名の抗争を禁止し、城郭も一国一城に限って、現状を固定したのです。武力行

  • 近代天皇家と新井白石: 極東ブログ

    文仁親王妃、男のお子さまご出産、おめでとうございます。 お子さまの皇位継承順位は、第一位皇太子、第二位文仁親王に次いで第三位となる。たぶん、この順で皇位が継がれていくか、あるいは皇太子の次となるかだろう。 何年先のことになるかわからないが私はもうこの世にいないだろう。が、この慶事を聞いて私なども日がそのころまで中国に飲み込まれることもなく存続していたらいいなという仄かな希望を覚える。 テレビなどから見る日庶民の喜びのようすは遠い親戚の家の世継ぎが出来てよかったという気持ちのように受け止められる。もともと日の庶民にはごく例外を除けば血統意識がなくあっても実際には家名の継続があるだけである。つまり、家の財産のシステムでもある。 これで皇室典範改正は見送りになるだろうし、一世紀近くは女帝の登場もないということになるのだろう。私個人としては、「極東ブログ: 英国風に考えるなら愛子様がいずれ

  • http://mainichi.jp/life/food/navi/news/20071030ddm013070092000c.html

  • らばQ : 世界を震撼させた20世紀の衝撃写真

    世界を震撼させた20世紀の衝撃写真 世界を変えてしまうという写真が世の中にはあります。 新聞や雑誌のトップを飾り、人々の脳裏に焼きついて離れません。 ここに集められたのは主に20世紀を中心とした、人の心を動かした有名な写真の数々で、何度か目にしたものも多いとは思います。 それぞれの写真が世界にどんな影響をもたらしたのか、そして写真の背景や、その後の人物たちはどうなったのかに焦点を当てて紹介しています。 ベトコンゲリラの処刑(1968年) この写真は写真家エディ・アダムス(Eddie Adams)によって撮影され、ピューリッツァー賞を受賞した一枚。サイゴン警察が捕虜として捕らえたベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の兵士グエン・ヴァン・レム(阮文歛)を、グエン・ゴク・ロアンが路上で射殺するところである。ベトナム戦争アメリカの介入について世論に大きな影響を与えた。 グエン・ヴァン・レムのことを

    らばQ : 世界を震撼させた20世紀の衝撃写真
  • らばQ : それでもあきらめなかった24人の偉人

    それでもあきらめなかった24人の偉人 成功した人が何をどんな風にして成し遂げたか、というのは人々の興味を引くようで、たびたびメディアでも目にします。ただ、大成してしまうと一般人から遠い存在となり、雲の上の人になってしまうため、偉人伝にピンと来ないことも多いかと思います。 しかし成功した人でも打ちひしがれるような思いや、不幸を味わう経験をすることも少なくないようです。 以下にあるエピソードに直接成功へつながる方法は一切ありません。 むしろ、どうしてこの人たちがこの世にこれほど名を残すほどまでの業績を残せたのか、それは逆境を乗り越えたからこそ、なのかもしれません。 今、苦しい思いをしている人へのヒントや励みになれば幸いです。 エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln) 1832年の春にビジネスのトラブルから無職になり、その後1835年には恋人のAnnを亡くし、かなりの打撃を受け

    らばQ : それでもあきらめなかった24人の偉人
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