2019年1月3日のブックマーク (2件)

  • 兄に虐待されていたこと

    子供の頃兄に虐待されていた。私は兄にとってサンドバッグ兼オナホだった。 長らくそのことを親にも黙っていたが、ある時耐えられなくなり全部を話した。それ以降実害はない。 それから数年経った。未だに兄のことを許さず、会話もしない私に、親や、事情を知っているごく少数の親戚や友人は気遣わしげな顔でこう言う。「お兄ちゃんも謝ったんでしょう?許してあげれない?」と。 彼らは当に私と私の家族のことを考えてくれて、なるべく平穏な家庭に戻ったほうが良いだろうと私にアドバイスを言ってくれている、あるいは宥めているのだろうとちゃんと理解している。そして彼らのことを私は信頼しているし、大切な人たちだと思っている。 それでも、それを言われるたびに私は信じられないくらい惨めで、絶望的な気持ちになるのだ。 何故許さなくてはいけないのだろう。 謝られて、人が心から反省していたら、もう許さなくちゃいけないのか。 例えば、

    兄に虐待されていたこと
    runt_nc
    runt_nc 2019/01/03
    赤の他人なら利害含めた切断も容易いが、家族だとそうはいかない、というのが余計な口出しをされる背景。 / とはいえ「許す」必要はないし、何らかの形で復讐したとしても法以外に責められる謂れは無いと俺は思う。
  • 買った鞄がホモランドセルと呼ばれている噂を知り感情を整理できない

    いわゆるザ・ノース・フェイスの四角いリュックである 自分はヘテロであり、このリュックを購入した動機は「デカくて丈夫なリュックが欲しい」程度のものであった LGBTに対しては変に特別視することもなく、そういう立場もあるよねウンウンという「理解者」的な立ち位置にいたはずだったが この噂を知った瞬間、率直に言ってこのリュックを手放したい衝動に駆られてしまった こんな噂を気にしてしまう自分の浅ましさ、この噂を広めたテレビ番組に対する苛つき、「理解者」という欺瞞を看破された焦り 様々な感情が渦巻いて落ち着かない この噂は呪いとして一生背負い続けていくのだろう

    買った鞄がホモランドセルと呼ばれている噂を知り感情を整理できない
    runt_nc
    runt_nc 2019/01/03
    俺はゲイだけど「そうは見られたくない」ので、それしきのことで差別感情がどうとかは思えない。むしろその名前をつけたヤツらに激しい憎悪を抱いている。実際あのリュックを背負ってる「お仲間」は見たことがない。