哲学カフェを主催する人たち、哲学カフェに参加する人たち、哲学カフェに興味を持つ人たち、みなさん、どうか私の話を聴いてほしい。6月16日、哲学カフェという実践は、暴力の姿をとって私の前に現れた。 まずは、私自身について軽い自己紹介をしておこうと思う。私はLGBTQのQ(クエスチョニング、クィア)にあたる人間だ。同性のパートナーがおり、パートナーシップ宣言を結んで共に生活している。そして、学生時代に哲学対話やNSDについて(ごくごく軽い入り口の部分ではあるものの)勉強したことがあり、哲学カフェについても身近なものと感じてきた。 ※これ以下の文章については、差別に関するトラウマを喚起する可能性があるため、LGBTQ当事者の方は十分注意して読み進めていただきたい。無理、ダメ、絶対。 そんな私はある日、久々に哲学カフェに参加しようと思いつき、呑気にネットサーフィンで場所を探していたのだが、「へえ〜こ
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