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人間関係に関するryoQ10のブックマーク (8)

  • 恋とはいったいなんじゃろか・2 - Mellow My Mind

    ■[mind]恋とはいったいなんじゃろか・2 (すげえ長いからヒマなときに読むといいよ……) 世の中にはどうしてもダメ人間とばかり恋に落ちてしまいがちな人というのがいるものです。しかしそういう人とて、「ダメ人間発見! しゅてき〜(はぁと)」と恋に落ちるわけではないのであり、繊細で感受性も才能も豊かで一見まともに思えた魅力的だと感じた人が、つき合ってみるとダメ人間でした、がっくし、というのがだいたいのパターンだと思います。この手のダメ惹かれタイプの人は、そういう恋を繰り返すあまりに、しまいにゃ「繊細で感受性が豊かで非凡な人間は、傷つきやすくて、この世の中では生きづらいから、ダメ人間なのは仕方ないのかしら……」とあきらめだしたり、「ダメ人間だけど面白くて魅力的 or しっかりしてるけど鈍感でつまらない」の二者択一しかないんだろうかと悩み出したりします。 かように、繊細で感受性が豊かで非凡な人は

  • 分裂勘違い君劇場 - 「醜い非モテと美しい非モテ」のネタばらし

  • 日経ビジネス EXPRESS X : 【天才演出家から学ぶ「自分」の見せ方:三重編1】窮屈な自分から脱皮しよう

  • 受身な人の心理状態(Wiki ver.) - PukiWiki

  • なぜ「信頼」は裏切られ続けるのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    社会という「信頼関係」 姉歯建築偽造問題でも、ホリエモン逮捕でも、アメリカ牛肉問題でも、露呈しているのは、僕らはある「信頼関係」の中で生きているということだ。だから「まさかそこまで」ということが起こる。これはいかんともしがだいだろう。どのような厳しい規制、管理をおこなわれようが、「信頼関係」の領域は残るだろう。 これは規制の問題ではなく、コミュニケーションの問題である。完全なコミュニケーションは存在せず、他者との間にはかならず「暗闇への飛躍」があり、自己責任で、リスクを抱え、「信頼」を持ち、飛び込むしかない。すなわちこれは確率論の世界である。 しかしだからといって、まるでジャングルを徘徊するように、毎日リスクの高い世界の中で、どこの誰かわからない人とで会い続け、何がおこるかわからないことには人々は耐えられない。だからこのようなリスクを低減するために、「社会」がある。それは、国による法という

    なぜ「信頼」は裏切られ続けるのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 本気になったら迷わず突き進め! - 304 Not Modified

    注意:この記事は代替怠惰 - 「概念」に触発されるのか? その奥に「ひと」はいないか?より、エロゲに触発されて記事を書いてみるという試みです。そのため、「処女はお姉さまに恋してる(通称:おとぼく)」のネタバレをかなり含みます。ご了承ください。 中学時代、陸上部の長距離部門に所属していました。入ったきっかけは決して足が速いからというわけではなく、陸上部・野球部・テニス部・卓球部の四択しかなかったので消去法で選んだだけ。入部前のマラソン大会でも23人中11位という中の上くらいの速さでは、年間5~6回ある地区予選大会では最下位になることが多く、しかも同地区同級生にあの西田隆維選手までいたもんだから周回遅れになってばかり。それでも、あの練習の日々はとても楽しかったものです。 陸上部というのはおもしろいもので、他の部と違って、「部」でありながらほとんどが個人競技です。そのため、いざ走り出したらあとは

    本気になったら迷わず突き進め! - 304 Not Modified
  • 「人間力」という宗教 - umeten's blog

    「人間力」 :他律的な感情を内面化し、それを無自覚的に駆使すること。 感情をあたかも自己の外部に存在する人類共通の絶対的基準、絶対的価値として崇め立て、その「普遍的な感情」「自然な感情」を内面化することを強制する宗教。 外在する外面的感情のみが「正しい」ものだとされ、 内在する内面的感情は「異常」であり「心の闇」であるとして完全否定される。 この前提として、「すべて感情とは想定の範囲内のもの」、「感情とは想像の及ぶ範囲内のもの」、「感情とは人間の理解が完璧に及ぶもの」である、いや、「あらねばならない」という意識が根底にある。 この「人間力」において、「理解できない感情」というものは存在してはならないのである。 これはむしろ、人間の持つ感情を、根源的な意味での人間の力を侮蔑している思考である。 一見、感情を称えているように見えて、その実、底知れぬ人間の感情を「理解の及ぶ範囲」に貶めるものであ

    「人間力」という宗教 - umeten's blog
  • 小野和俊のブログ:ミスコミュニケーションの傾向と対策

    会社で問題が起きたとき、なぜそんな問題が起こったのかと詳しく話を聞いていくと、 問題を構成するほとんどすべての項目について、ミスコミュニケーションがその根の原因となっていることがある。 誰かが手を抜いているわけではない。誰もが前向きに一生懸命やっていこうとしている。 それでも、ミスコミュニケーションが重なると、問題が次第に大きくなり、修復することが難しくなっていく。 場合によってはその積み重ねが相手に対する不信感を生み、人間関係に悪影響を及ぼすこともある。 ミスコミュニケーションは人の問題であり、簡単には解決できないようにも思える。 しかし、対策の打ちようはある。 【ミスコミュニケーションの分類】

    小野和俊のブログ:ミスコミュニケーションの傾向と対策
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