高校生の頃から、記者になるのが夢だった。もしも夢が叶ったら、財務省の福田淳一事務次官による「セクハラ発言」のようなものを聞いたのだろうか。 答えは、間違いなくイエスだろうと思う。なぜなら、社会学者という肩書きの私ですら、駆け出しの頃に業界で体験した言動は、一線を越えていたからだ。「触られてもいないんじゃないの」「だったらすぐに男に替えればいいだけじゃないか」(麻生太郎財務大臣発言)といわれることはわかっていたから、何も言えなかった。 たかが発言、我慢して受け流せばいいじゃないのと思われるかもしれない。就職が決まったことにかんしても、女性であることの評価、若さや容姿に言及する発言を第三者にされたときには、本当に傷ついた。研究者でさえも、業績だけで評価されないのか。女性が働くということは、セクハラ発言を我慢することも含まれているのか――若い女性である当時の私は苦悩した。 「女性」であるがゆえに
「1対1でも密室でも、しないのは基本中の基本」の批判も セクハラ疑惑で24日に財務事務次官を辞めた福田淳一氏を擁護する麻生太郎財務相の発言が止まらない。麻生氏は同日の記者会見でも「はめられたとの意見もある」などと述べた。被害女性の方が悪い--とも言いたげな姿勢は、政府が成長戦略の柱とする「女性活躍」を真っ向から否定するものだとの声が出ている。【中村かさね、中川聡子】 政府や与党内からも批判が出ている麻生氏の発言や財務省の対応に、コラムニストの小田嶋隆さんは「男女2人きりならセクハラをしてもいいのか。加害者に責任があるのは当然で、まともな人間なら1対1でも密室でもセクハラをしないのは基本中の基本だ」とあきれている。
名門校出身者たちを目の当たりにして 教育と格差の問題といえば、しばしば話題にのぼるのが東大生の親の年収である。2014年の調査によれば、東大生の育った家庭の半数強が、年収950万円以上の比較的裕福な家庭だという。 ここで問題視されているのは、階級の固定化である。つまり、裕福な家庭は多額の教育費を支払うことができるので、子供は高学歴化する傾向にある。学歴と収入は比例することが多い。結果的に、金持ちの家系はいつまでも金持ちだし、逆に貧乏人はいつまでも貧乏から抜け出せない――という問題だ。 だが、こうした問題提起に出くわすたび、いつも「ある視点」が欠けていると私は感じる。それは都市と地方の格差、地域格差である。 田舎者は、田舎に住んでいるというだけで、想像以上のハンディを背負わされている。 あらかじめ、どんな地域で育ったどんな人物がこの記事を書いているのか、簡単に紹介しておこう。 私は高校時代ま
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