ナイジェリア軍 vs ビアフラ軍の一進一退の攻防 前編では、北部ハウサ・フラニ人と東部イボ人の民族的対立やナイジェリア軍人たちの対立が加速した結果、とうとう東部州が1967年5月にビアフラ共和国として独立するまでをまとめました。 前編をご覧になりたい方はこちらをどうぞ。 後編では、ナイジェリア軍のビアフラ侵攻から共和国の崩壊に至る約3年の戦争をまとめていきます。 1. 開戦・連邦軍の攻勢とビアフラ軍の反撃 連邦軍の攻勢 ビアフラ共和国建国宣言から2ヶ月後の1967年7月6日、北東部の町オゴジャに連邦軍が攻撃を開始。ビアフラ戦争が勃発しました。 翌日、北部の町ヌスカに連邦軍の主力6,000が正面攻撃を開始し、ビアフラ軍も3,000の兵力で守備に当たっていましたが難なく突破され、ヌスカの町が陥落します。 次いで7月25日、連邦軍はビアフラ共和国の「心臓部」であるボニー港の攻略にかかります。ボニ
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