タグ

演出と高畑勲に関するs_atom11のブックマーク (2)

  • 【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第17回 アニメ演出の根幹とレイアウト

    「高畑勲展―日のアニメーションに遺したもの」が東京国立近代美術館で始まった(7月2日から10月6日まで)。筆者も「アニメーションの変革者」という2万文字を超える長文の総論を図録へ寄稿している。言うまでもなく高畑勲監督は日のアニメーション監督中、最大級に影響範囲の広い作家であり、正直言って荷が重かった。だが、高畑勲・宮崎駿作品研究所代表の叶精二氏が各論を書かれるという前提で、なるべく新しい視点が得られるよう努力したので、ご一読いただけたら幸いである。 その執筆過程で、最終的にまとめたもの以外の考察も副産物として大量に出てきた。「マスターにあたる作家」を語るということは、根を考えぬくことだから当然でもある。今回はその一部を応用して、展開してみたい。 もっとも引っかかったのは「そもそもアニメーションにおける演出とは何か」という根中の根である。多くの人は「演技づけ」だと解釈しているだろう

    【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第17回 アニメ演出の根幹とレイアウト
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第488回 『火垂るの墓』の庭からの視線

    今回は「他者」ではなく、「視線」についての話だ。ずっと前から一度、原稿にしたいと思っていた話題である。 映画の後半で、べ物が手に入らなくなったため、清太は畑から野菜を盗むようになり、その後で火事場泥棒をはじめる。空襲があると、彼は見知らぬ民家に飛び込む。最初はべ物を奪っていただけだが、やがて衣類を盗むようになる。盗んだ衣類を農家に持っていき、べ物に換えるのだ。火事場泥棒を終えた清太が、飛んでゆくB29に向かって「やれやれ! わーい!」と叫んで飛び跳ねる描写がある。皮肉にも、母親や家を奪った空襲を喜ぶようになってしまったのだ。清太は坂道を転がるように堕ちていく。 火事場泥棒は2度描写されており、今回話題にするは最初の火事場泥棒だ。空襲が始まり、人々が防空壕に駆け込んでいるとき、清太だけが別の方向に走る。民家に飛び込んで、台所にあった鍋ごと料理を盗む。そして、居間で座り込み、おひつにあっ

  • 1