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2015年9月8日のブックマーク (10件)

  • 驚愕と茫然の大塚国際美術館 - 日毎に敵と懶惰に戦う

    大塚国際美術館、名前だけは聞いたことがあった。世界中の名画を原寸大で陶板に焼き付けた作品が並ぶ美術館だという。徳島にあるという。大塚製薬の創業者が一念発起して作った美術館だという。正直、偽物がずらずら並んでるだけかー、なんか変なお金持ちの道楽か?珍スポットの一種か?と思っていたんですよ。しかし、行った人はみんな大いに満足しているらしい。そしてこんな記事である 君は「行ってよかった美術館ランキング」1位の大塚国際美術館を知っているか。 - いまトピ これは一度は行ってみなければなるまい…これまで47都道府県のうち、徳島と宮崎が未踏の身としては、徳島に行く機会にもなるし。と、阿波踊りの熱狂が通り過ぎた後の日曜日。阿波踊りのイメージが氾濫する徳島阿波踊り空港に降り立ち 路線バスで鳴門市にある大塚国際美術館に向かう。途中、大塚国際美術館がある島に渡る橋の手前に、巨大な大塚製薬の倉庫が並び、その壁面

    驚愕と茫然の大塚国際美術館 - 日毎に敵と懶惰に戦う
    sa_wa
    sa_wa 2015/09/08
    こんなおもしろそうな所だったのか。大塚製薬の創業者が作ったってのも知らなかった!/「ああもう戻れないのだ、と、MIHOミュージアムにバスで向かった時のような緊張感と高揚感」解るわ…
  • 重機をお玉にして芋煮、それが問題ない理由 | 乗りものニュース

    重機を使って調理する「日一の芋煮会フェスティバル」。衛生面が気になるところですが、バターを使うなど様々な工夫が行われていました。 重機を「お玉」にして大鍋を 直径が6mもある大鍋を使った「日一の芋煮会フェスティバル」が、今年2015年も9月20日(日)、山形市の馬見ヶ崎河川敷で開催されます。 鍋が巨大なら材も大量で、イモ3トン、牛肉1.2トン、コンニャク3500枚、ネギ3500、味付け醤油700リットル、隠し味に日酒50升と砂糖200kg、そして山形の水を6トンを使用。1度に3万5000もの芋煮が作られます。 大鍋と重機で調理する「日一の芋煮会フェスティバル」(写真提供:日一の芋煮会フェスティバル協議会事務局)。 もちろん調理方法も、普通にお玉でかき混ぜて……というわけにはいきません。なんと「バックホー」という重機、いわゆるショベルカーを使って調理します。 そうなると、気に

    重機をお玉にして芋煮、それが問題ない理由 | 乗りものニュース
    sa_wa
    sa_wa 2015/09/08
    これ毎年記事見ては、重機で調理ってどうなんや…て思ってたんだよな。毎回新品、潤滑油にバター…!すごい!
  • ニューヨーク・ハードコアを特集したドキュメンタリー、日本語字幕付き版がネットで公開中 - amass

    ニューヨーク・ハードコアを特集した、VICEの音楽チャンネルNoisey制作のドキュメンタリー。日語字幕付き版がVICE JapanのYouTubeチャンネルにて公開。ナレーションはランシドのティム・アームストロング。 このドキュメンタリーは、私たちの文化と生活を大きく支えてきた音楽は、現在のシーン、そして現在の社会に、どのような影響を与えてきたのかを検証するドキュメント・シリーズ「UNDER THE INFLUENCE」の第1弾。 以下、インフォメーションより 多数のアーティストやミュージシャンなどを輩出した街ニューヨーク。その個性的なキャ-ラクターや作品は、世界中の人々を虜にし、数々のシーンを生み出した。しかし1970-年代に入ると財政は傾き、犯罪も増加。ニューヨークの治安は一気に悪化する。白人層は-次々に郊外へ逃げ出す中、ニューヨークに残ったのはワーキング・クラスの人々。彼らは-、

    ニューヨーク・ハードコアを特集したドキュメンタリー、日本語字幕付き版がネットで公開中 - amass
    sa_wa
    sa_wa 2015/09/08
    おもしろそう
  • 立川の銭湯「梅の湯」で、1万冊の漫画と風呂あがりの生ビールの【ヒョイ飲み】 - メシ通 | ホットペッパーグルメ

    梅の湯@立川で風呂あがりの生ビールと一万冊の漫画 世の中で一番旨い酒の飲み方は何かと考えると結局、風呂あがりに生ビールをグビグビではないかと思うのですよ。 実はよく友達と、一緒に銭湯に行ってから、飲み屋に行くなんてことをやっています。銭湯でじっくりと温まってから、飲み屋に駆け込むのです。生ビールを飲み干すのです。正に甘露、正に至福。この時、風呂から上がってから、ビールを飲むまでの時間は短ければ短いほど美味しくなります。つまり、銭湯から飲み屋までの距離は短いほどいい。 この考えを突き詰めると、銭湯の更衣室や休憩室で飲むのが最高ということになります。おなじみフルーツ牛乳などと一緒に缶ビールを置いている銭湯なんかもあるんですが、やっぱりここは生ビールをジョッキで飲みたいものです。 探してみると、結構あるんですね、生ビールが飲める銭湯。そこで、そのひとつ立川にある「梅の湯」に行ってみることにしまし

    立川の銭湯「梅の湯」で、1万冊の漫画と風呂あがりの生ビールの【ヒョイ飲み】 - メシ通 | ホットペッパーグルメ
    sa_wa
    sa_wa 2015/09/08
    なんやこれ天国やん。
  • 伊藤晴雨 - Wikipedia

    1956年 伊藤 晴雨(いとう せいう、1882年(明治15年)3月3日 - 1961年(昭和36年)1月28日)は、日の画家。名は伊藤一。責め絵、幽霊画を得意とする。 出身は東京市浅草区。父親は旗大炊頭の子で、没落し彫金師を生業としていた。母親は丹南藩の元家老の娘・とら。その長男として生まれる。幼い頃から絵が得意であったため8歳で琳派の絵師・野沢提雨に弟子入りする。9歳の段階で芝居の折檻シーンや女の髪の匂いに執着する性癖が発現している。 父が彫金師だったために12歳で象牙彫刻師・内藤亀次郎のもとへ丁稚奉公する。23歳で絵描きになるべく彫刻師修行を辞め京都へ移り、様々な職業を転々とするが身体を壊し東京に戻る。 25歳から新聞社に勤め挿絵や評論を書く。27歳で包茎手術を行ない、竹尾という女性と一度目の結婚をする。包茎だったため28歳まで童貞だったが物の女を知って落胆するなど、性に

    伊藤晴雨 - Wikipedia
    sa_wa
    sa_wa 2015/09/08
    12歳で伊藤晴雨の愛人になってその後竹久夢二の愛人になった女すげえな。
  • サービス終了のお知らせ

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    sa_wa
    sa_wa 2015/09/08
    大阪城の軍事遺産。大阪砲兵工廠跡。写真がめちゃキレイ!これはいかなあかんな~。
  • 大阪砲兵工廠 - Wikipedia

    化学分析場跡。2018年現在、廃墟となっている。 1945年頃の大阪陸軍造兵廠の敷地図(赤色の部分。道路・鉄道は現在のもの) 大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)は、大阪大阪市にあった大日帝国陸軍の兵器工廠(造兵廠)。太平洋戦争の敗戦まで、大口径の火砲を主体とする兵器の製造を担ったアジア最大規模の軍事工場であった。また、戦前中の日では重工業分野においてトップクラスの技術や設備を持っていたため、官公庁や民間の要望に応えて兵器以外のさまざまな金属製品も製造していた。最終時の名称は大阪陸軍造兵廠(おおさかりくぐんぞうへいしょう)。 旧化学分析場(1919年築) 明治維新後、大日帝国陸軍建設の指揮を揮った兵部大輔大村益次郎の建言により設置が決まった。1870年3月4日(明治3年2月3日)、幕府の長崎製鉄所の機械および技術者、職工を移設して兵部省直営の造兵司(のち大阪造兵司)が新設され

    大阪砲兵工廠 - Wikipedia
    sa_wa
    sa_wa 2015/09/08
    ひろい!
  • Amazon.co.jp: 日本アパッチ族 (ハルキ文庫 こ 1-31): 小松左京: 本

    Amazon.co.jp: 日本アパッチ族 (ハルキ文庫 こ 1-31): 小松左京: 本
    sa_wa
    sa_wa 2015/09/08
    小松左京読んだことないんだよなあ。読んでみたい。
  • 懐かしき奇譚クラブ

    子供の頃から、他人には話すことのできない秘めた性癖を持った私にとって奇譚クラブは 心のよりどころでした。 その後登場した多くのSM誌が美しいカラー写真と共に、奇譚クラブの実現できなかった ハードなSMシーンを実現するようになって、奇譚クラブの影は薄れてしまいましたが、 それでも奇譚クラブは限りなく懐かしい存在であり、作品の中には今でもSMの想いを 掻き立ててくれるものがあります。 還暦を過ぎる頃になって、素人でも印刷物のデジタル化を実現できるようになったのを 機会に、懐かしい奇譚クラブのデジタル化をはじめました。 そのデジタルコレクションを公開して、同好の士と共に楽しみたいというのがこのサイト の目的です。 あらかじめお断りしておきますが、私のコレクションは性の文化を探求するための文献収集 などではなくて、SMという性の趣味を満たすためのコレクションに過ぎません。 私が好むのはSM、それも

    sa_wa
    sa_wa 2015/09/08
    帰宅してから見よう。
  • 奇譚クラブ - Wikipedia

    この項目では、1983年まで発行された雑誌について説明しています。フィギュアなどの玩具を手掛ける企業については「奇譚クラブ (企業)」をご覧ください。 『奇譚クラブ』(きたんクラブ)は、1947年(昭和22年)11月より1975年(昭和50年)3月まで出版された、サディズム・マゾヒズム・フェティシズムなどを専門に扱った性風俗雑誌[1]。 B5判のカストリ雑誌として出発したが、1952年5・6月合併号よりA5判にリニューアルし、以降、格的にサディズム、マゾヒズム、フェティシズム(ふんどし、ラバーほか)、切腹などを中心に扱う雑誌となった。出版社は、曙書房、天星社、暁出版 (大阪)と変わっている。1954年(昭和29年)3月と1955年(昭和30年)5月に一時発行禁止処分を受けた。1982年に「復刊」と称して創刊されたきたん社発行の『奇譚クラブ』は後続関係にはなく、まったくの別物。全国誌であり

    sa_wa
    sa_wa 2015/09/08