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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (2)

  • 平光吾一 戦争医学の汚辱にふれて ――生体解剖事件始末記――

    古傷を抉られる――という言葉がある。恰も「文学界」誌上に発表された遠藤周作氏の『海と毒薬』という小説を読んだ時、私は全く自分等の古い傷痕を抉られたような心境だった。 というのは、この小説戦争犯罪人というレッテルと、重労働二十五年という刑罰を私に下した、所謂九大生体解剖事件(実際は相川事件という)を刻明に描写していたからである。 人間を生きたまま解剖する――平和な今日では想像も出来ぬような残酷にして戦慄すべき出来事がほんとうにあったのだろうか。日の上下をあげて敗戦に追いつめられた時代相と異常な戦闘生態における人間心理が交錯して生れた悲しむべき戦争悪の一面を語る「事実」なのである。 生体解剖事件とは、昭和二十年五月から六月にかけて、土空襲で捕縛せられたB29搭乗員若干名を、九大医学部の一部に於いて、西部軍監視の下に医学上の実験材料にした事件だった。 実験の主な目的は、多くの参考人の言から

    sa_wa
    sa_wa 2019/07/09
    当時解剖学教室の教授だった人。
  • 宮沢賢治 グスコーブドリの伝記

    グスコーブドリは、イーハトーヴの大きな森のなかに生まれました。おとうさんは、グスコーナドリという名高い木こりで、どんな大きな木でも、まるで赤ん坊を寝かしつけるようにわけなく切ってしまう人でした。 ブドリにはネリという妹があって、二人は毎日森で遊びました。ごしっごしっとおとうさんの木を挽(ひ)く音が、やっと聞こえるくらいな遠くへも行きました。二人はそこで木いちごの実をとってわき水につけたり、空を向いてかわるがわる山鳩(やまばと)の鳴くまねをしたりしました。するとあちらでもこちらでも、ぽう、ぽう、と鳥が眠そうに鳴き出すのでした。 おかあさんが、家の前の小さな畑に麦を播(ま)いているときは、二人はみちにむしろをしいてすわって、ブリキかんで蘭(らん)の花を煮たりしました。するとこんどは、もういろいろの鳥が、二人のぱさぱさした頭の上を、まるで挨拶(あいさつ)するように鳴きながらざあざあざあざあ通りす

    sa_wa
    sa_wa 2011/02/01
    火山噴火の話とあわせてどこかの地方紙コラムで紹介されていた。
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