http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090224/1235449886 http://d.hatena.ne.jp/sadamasato/20090224/1235493707 前エントリーに対して少し補足。 大村英昭氏の「罪の文化」/「恥の文化」の話の文脈について。これは社会学における「役割」概念、経済学における「ホモ・エコノミックス」概念(その内面主義)を批判する文脈において言われている。そこでは、 一つには、演技や遊びを、うそないし不真面目として貶下する近代の誠実イデオロギーが、社会学にも濃い影を落としてきたこと。二つには、それと深く関わりながら、外見よりも中身ないし遂行機能だけを恣意的に抽象する、(私の言う)透明人間モデルが自明のドメイン・アサンプションになってきたこと。以上、二つが併さって、社会学は一方で行為の表現(expressive)面を想わせる
![「恥」について補足 - Living, Loving, Thinking, Again](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/a334f3b69d0d69ce4ba4f231c9c71cf127cd9e7b/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimages-fe.ssl-images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51ogicnMs4L._SL160_.jpg)