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世の中には、おぞましいものがいくらでもある。その中でも、自分が昔から何よりもおぞましいと感じてしまうのは、おぞましい現実に言及しつつ・言及することで自分の身をその現実から安全地帯へと引き離すことができる─引き離せばそれでよい、一件落着、と考える人の心に潜むものである──ということに、わりと最近思い至った。一つ二つのきっかけで思い当たったのでなく、いろいろな経験が積み重なって、その重みが、鈍い自分にもようやく感じ取れるようになってきた、ということだろう。 ちょっと回りくどいというか、極端かもしれない例を上げる。 イスラエルのガザ侵攻が深刻な様相を呈していた頃、とある軍事オタク系の──と言ったら失礼かもしれないから、「研究者」の、と言っておこう──ブログ記事に行き当たったことがある。イスラエルが使用した白燐弾についての記事だった。 記事の主旨はこんなようなことである。 ○白リン弾は本来
April 17, 200912:04 カテゴリ mail magazine synodos 「今、なぜ、介護を考えることが必要なのか」 こんにちは。芹沢です。 本日はαシノドスのバックナンバーから、「介護」をめぐるレポートのご紹介です。 執筆者は、特別養護老人ホームの介護職員。 「現場」からの声を受け止めていただければと思います。 「今、なぜ、介護を考えることが必要なのか」M.K(特別養護老人ホーム・介護職員) αシノドス vol.22収録 □□はじめに□□ 現在、私は特別養護老人ホーム(以下、「特養」)でケアワーカー(介護職員)として働いている。特に昨年は、介護の現場で働きつつ、講演や各種審議会等を少なからずウォッチし、機会があれば、現場の立場から発言をしてきた。そうした中で、いま考えていることの一端を示し、議論に供したい。なお、ここで述べていることは、特養、それも新型(ユニット型)
16年五輪の開催候補地視察で、東京を訪れている国際オリンピック委員会(IOC)評価委員会への説明をした石原慎太郎都知事は16日夜、都内であった記者会見で、「ヨーロッパの国によるアジアの植民地統治に比べ、日本の統治は公平だったと聞いた」と述べた。 英国人記者が「石原知事は日本の朝鮮半島への行為を矮小(わいしょう)化しているため開催地に選ばれるべきではないという、韓国での報道があるのを知っているか」と質問。石原知事は「日本の韓国の統治がすべて正しかったと言った覚えはまったくない」としたうえで、「日本のやったことはむしろ非常に優しくて公平なものだったということを朴大統領(朴正熙(パク・チョンヒ)・韓国元大統領)からじかに聞いた」と述べた。
引用に先立ち私から一言。 私は日本で生まれ、日本で育ったので日本が大嫌いです。 追記につき二言目。 要するに国籍さえ違えばマイノリティとして可視化されるという意味で国籍というのは実に頭がめでたい制度である。*1 以下ざっと主なリンク集。 こんにちはこんにちは!!帰化手続き中の在日です! http://anond.hatelabo.jp/20090414170900 http://anond.hatelabo.jp/20090414170900の増田です(上の続き) http://anond.hatelabo.jp/20090414225924 帰化について http://anond.hatelabo.jp/20090415200018 帰化しないの増田です。(上の続き) http://anond.hatelabo.jp/20090416115341 それじゃ便乗して民族学校通ってた在日もち
「通名」が「特権」だと思われているということを、最近知りました。 「通名」と「本名」、「本名」か「通名」ということについては、小学校時代からの悩みのタネでしたけれど、それは、わたしにとっては「特権」というよりは、とても大きな負担のようなものでした。これが、「特権」に見えるという文脈は、わたしにはまったくなかったので、「特権」だといわれて、正直おどろきました。いまでも、理解できません。 先日、書いた文章のなかで、パレスチナ問題の学習会に参加をしたとき、「本名」を言おうかどうか少しまよいました、と書きました。そこに注目されて、ほら、都合のよいときに、「通名」を使ったり「本名」をつかったりと使いわけているではないか、そんな自由きままに「選択」ができるということは「特権」ではないのか、というようなコメントをいただきました。誤解を受けるような書き方だったのかも知れないと思うので、少し補足しておき
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