職人とアーティストを決然と隔てる美徳冨田勲は、1971年、日本で最も早い時期にモーグ・シンセサイザーを導入した作曲家として知られるが、それまでの1960年代にはドラマからドキュメンタリーまでをまたいだテレビ番組の作曲家として引く手あまたであった。さらに言えば、それ以前の1950年代から20代の冨田は映画音楽の劇伴を意欲的に手がけていた。 1958年の東映映画『地獄の午前二時』を皮切りに、初期の冨田は東映大泉撮影所の職人監督・関川秀雄(代表作は『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声 』『超高層のあけぼの』)といくつも組んでおり、しかもそれらは『国際スリラー映画 漂流死体』『悪魔の札束』などのサスペンス、スリラー物で占められている。サスペンスと言えば、同時期にやはり村山新治監督、長谷川公之脚本で人気のあった『警視庁物語』シリーズでも『顔のない女』『一○八号車』『遺留品なし』など七本を担当して