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増田とeducationに関するsakamuke07のブックマーク (8)

  • 東浩紀が学生のカンニングを見つけた件で思った事

    3年か4年前、ほぼ同じ事例がうちのゼミでもあった。 Twitterじゃなくてmixiか、あるいは当人のブログか、その辺だったと思う。 それを直に目にした教授はどうしたかつーと、 その学生を呼び出して、該当部分をプリントアウトした紙を見せて「これ、君の書き込みかな?誰かに名前を騙られたりしてない?」と問いただす。しかし学生は悪びれもせずあっさりと「いえ、自分ですが」と肯定。教授「あ、そう。じゃあ君、この単位無しね。」とあっさり落第に。卒業に必須の単位だったので落第も確定。事態のヤバさにようやく気づいた学生は猛抗議・土下座するも教授はシカト。挙げ句「右の者、平成xx年度の○○講座に出席する事能わず」と掲示板に張り紙まで出される始末。その学生は卒業する事なく大学を去る。教授は後日こう言った。 不正行為を働いた彼をここから放逐しなければ、それは真面目に勉強しているキミ達への侮辱になるからね。 真面

    東浩紀が学生のカンニングを見つけた件で思った事
  • 才能のない子にどうやって美術への進路を思いとどまらせるか

    俺の大学の同級生には異常に先生が多い。大学って言っても芸大な。 芸大なんてとこは特定の学科を除いて「就職するぐらいならアーティストになれ」という方針だから、就職課もないガイダンスもフォローも一切ないという有様で、まず新卒で就職しない(20人ほどいた俺の専攻ではガチで1人だけ)。ハチクロの竹のごとく自分探しに行く奴も珍しくなく、長じて海外に行ってしまう奴も多かった。 これは美術学部だけじゃなくて音楽学部も共通で、のだめなんかもそうだけど、「就職する方が負け組」みたいな空気なんだよね。芸大としてランクの高い大学ほどそれが顕著なので始末が悪い。 ただまあ、みんながみんな大成すると思うほど脳天気ではないから、保険として教職だけはとっておくと。それが30を迎えるころになって、芽の出る奴は立派に若木として育ち、芽の出ない奴はそろそろ諦める期に突入しはじめた。すると後者はもうホント先生になるしかないん

    才能のない子にどうやって美術への進路を思いとどまらせるか
  • ゆとり教育論議における簡単な四分法

    「ゆとり教育」と名付けられた政策の質が、教育における『規制解放』であり新自由主義的政策であることは言うまでもないが、新自由主義にも二つの側面があることは同時に指摘されるべき。従って、ゆとり教育に対する議論は大きく四分することで概観できる。 (1)ゆとり推進派-A(自由化○、市場化○) 「教育の市場化」推進のために『ゆとり教育』を推進した人々(寺脇、経団連)。すでに主流を逐われている。 実は「ゆとり反対」と目されている一部の保守派は、質においてここと発想が同じ(たとえば橋下)なのでややこしい。 合い言葉は「基礎基の徹底(ドリル、読み書き算盤)」「エリート主義」 (2)ゆとり推進派-B(自由化○、市場化×) 「教育の自由化」推進のために『ゆとり教育』を推進、または賛成する人々(文科省主流)。 新学習指導要領の内容の主たる部分はこの路線に乗っており、いわば穏健な改革派といえる。 合い言葉は

    ゆとり教育論議における簡単な四分法
  • 子供から動画を取り上げた

    小学校低学年の長男と幼稚園児の次男によくパソコンをさせてた。 自分がいる時にだけ電源をつけてインターネットに接続し、子供にマウスを渡すのだ。 キッズ向けのコンテンツって結構豊富だ。キャラクターや小学生向け雑誌のページをお気に入れてあげて、子供たちで見れるようにしておいた。そういうサイトでは、オリジナルの簡単なゲームや、子供向けのオリジナルアニメなども配信されていたりする。 もちろんグロ画像や性的描写は無くって、安心してパソコンを使わせていた。幼稚園の息子もマウスを巧みに操り、器用にゲームをしたりするのを「この子は憶えるのが早いなあ」とか親バカ的な視線で眺めていた。 長男は、新たに見つけたサイトをお気に入りに入れ、どんどん新しいサイトを開拓していた。まだローマ字入力も出来ないので、長男の新サイトの開拓は、もっぱらリンクを辿る事で行われていた。時々長男の開拓したサイトを見ていたが、特に問題とな

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  • 20代の高校教師だけれども、

    20代の高校教師だけれども、生徒に好意をもたれることなんて、ざらです。そこから告白まではなかなかいかないのだけど、そういう生徒もいます。 で、そこから教師が一歩踏み出さないことが、教える人の資質なのではないかなぁ。考えてみれば、自分よりも年上の知識も豊富な、夢を実現している人生の先輩に対して憧れることは、そりゃ当然なんですよ。同級生よりも話も上手だし格好良く見えることでしょう。そこで恋するのは、子どもの権利です。だからといって、そこで、大人のほうから一歩踏み出しちゃいかんでしょ。そこで踏みとどまることが、教える者の義務ですよ。 法律と照らし合わせてどうのとか、未成年だからどうのとかってのは、どうでもいいんですけど。その場合、もしも教師ならば懲戒免職で一生教職には就けません。それは、子どもを教える資格がないからです。あなたは塾講師といえども、それに準ずる罪を犯した可能性がある。子どもの教育

  • 小学生に鉛筆を使わせていた理由

    anond:20080213204940 これは小学校勤務の長かった(現在は違う)友人から聞いたんだけど、鉛筆というのは、ペンタイプの道具を使う上で最初に学ぶものとして非常に合理的なんだそうな。 おおよそ、どの鉛筆もそのグリップの太さは一定で、長期的に「持ち方」を習得する上では優れている。コロコロと太さや形状が変わる可能性のあるシャープペンだと、基的な持ち方へ手が慣れてくれない。 また、鉛筆を削ることによって筆の長短が変わるのも、様々な長さや重心に対応できる持ち方が習得できるので良い。それも急激な変化ではなく、基は削った分だけだ。買い換えればいきなり長くなるのだけど。 そして、使ううちに黒鉛が削れ、太さや角度が変わっていくのも、ペン先への対応力に関わってくる。 このように、変化しないグリップをベースに、変化する長さや重心や太さや角度に対応していく理想的な経験が、鉛筆では可能となる。 鉛

    小学生に鉛筆を使わせていた理由
  • これが日本の公教育のスタンダード

    やぁ、元増田だ。 どうやら、当にわかってない人達がいるようだね。 http://www.suzaku-s.net/2007/12/kosei-kyouiku.html http://anond.hatelabo.jp/20071214154638 円環的時間に子どもを閉じ込める、というのは、どういうことか。個性を育てる教育とか要らないとか、ゆとり乙とか、そういう話じゃない。 http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/blog/node/1870 ある方からのタレコミ。小4のお子さんが学校で長方形の面積を横×縦で計算したら減点された。学校に問い合わせたら,担任にも教務主任にも縦×横が正解と言われたとのこと。横×縦でも同じになることを自分で見つけたならば褒めるべきところを減点するようでは,創造性を伸ばすなというようなもの。 こういうレベルの話だ。俺は30年くらい

    これが日本の公教育のスタンダード
  • 小中高までの教育議論をみていると

    結局のところ、日の指導的ポジションにいる老人達は円環的時間のなかに子どもを閉じ込めて、自分達の予期可能な範囲のことしか出来ない人々だけを生産したいってこと? イノベーションとか口先だけだよね。社会を変革できるような人材、したいような人材は、叩き潰したいと思ってるんじゃないかというか。もちろん、子どもの親は、彼ら老人より若いので老人達とは考えが違うので、信用されていないし、決定権も奪われている。「モンスターペアレンツ」って、要はそういうことだ。親としての当然の権限・権利行使にはモンスターのレッテル。 梅田もっちーとか、エンタメとしては読まれても、あそこで肯定されているような人材がうまれやすい環境作り、なんて話は、フルボッコで否定だよね。うちの会社も、もっちーを社内講演に呼ばなくなったな。もっちーから切った可能性もあるが、どうも会社的にああいう話は禁句になったっぽい。一次元の価値観の中で、あ

    小中高までの教育議論をみていると
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