〈たとえば、現代人が恥をかかせてしまうことにそれほど慎重でなければ、多くの乗客が「何をしてるんだ?」と容疑者に干渉していたでしょう〉 根底にあるのは、失敗をおそれるがゆえに何もしないでいる、そんな「予防的なやさしさ」の浸透。隣家で殺人事件が起きても、通報が遅れたりするのも、著者の論をあてはめてみると、「都会の無関心」と片付けてしまうよりも、説得力があるように思えるのだ。 "“やさしい”から、席を譲れないんです〜『ほんとうはこわい「やさしい社会」』森真一著(評:朝山実) (毎日1冊!日刊新書レビュー):NBonline(日経ビジネス オンライン)" いろんな要因が考えられるのも事実なんだけど、こうした予防的な「やさしさ」っていう風に説明しちゃうのも、なんだかコマーシャルな感じがしないでもない。もちろん、そういうところもあるんだろうけど。 なぜ、人は手を差し伸べないのだろう、という説明でもっと
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