東日本国際大教授・先崎彰容 秋の夜長は読書の季節である。今日は一冊の哲学書を片手に、大正時代へとタイムスリップしてみることにしよう。 大正時代はとても不思議な時代である。大正デモクラシーの明るい雰囲気の傍らで、じわりと暗い影が差す。たとえば大正10年、大財閥の創設者・安田善次郎が一青年に暗殺された。現在でも有名な東大の「安田講堂」は、善次郎が寄贈したものである。この暗殺事件からおよそ1カ月後、今度は首相・原敬が凶刃に倒れた。以後、時代はあきらかにキナ臭くなっていく。 政治の世界で戦争へむかう最初の歯車が動きはじめたとき、時代の緊張を「哲学」しようとした思想家がいた。本日の主人公・三木清のことである。三木清は、後に「京都学派」と呼ばれる哲学者・西田幾多郎門下のなかでも、とびきりの秀才として有名だった。東京帝大ではなく京都帝大を選んだのは、一高時代に『善の研究』を読み、西田に教えを請うためだっ
![【「近代日本」を診る 思想家の言葉】三木清 悲哀の時代に「古典」を精読](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e0d2c4ed9ba356e23e8302d37d2e8205399f58fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.sankei.com%2Fresizer%2Fp0WHhe3hXxw071-RjfL1Ikjd-9c%3D%2F1200x630%2Fsmart%2Ffilters%3Aquality%2850%29%2Fcloudfront-ap-northeast-1.images.arcpublishing.com%2Fsankei%2FQXEMGAENFNI6JITZIC4NPLCZAY.jpg)