お寺周辺の石仏は、江戸時代の故人の墓であることが多い。 その中で女性(信女、童女)の墓として彫られた石仏は蓮を持った聖観音か、ほおに手を当てた如意輪観音(写真)であることが多い。 観音様が形態的に女性的であることがその原因かもしれないが、もともとの観音菩薩は女性ではない。 観音の変化身の中で”女性”とされているのは准胝観音と白衣観音なのだが、女性の墓として彫られるのは、それらではなくなぜ特に如意輪観音なのか分からなかった。 本日、郷土博物館巡りで行った青梅市郷土博物館で、その謎が解けた。 市内の如意輪観音坐像の説明によると、 女性は生理や出産などで出血するため、死後に血の池地獄に落ちるとされていて、そこからの救済を説く「血盆経」を女性たちが写経すると、如意輪観音が現れて、血の池地獄から救ってくれるという民間信仰が江戸時代に広まっていたということだ(地蔵菩薩の女性版)。 説明は以上だが、そこ
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