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哲学に関するsammyaddのブックマーク (4)

  • 人は人と出会うべきなのか|斎藤環(精神科医)

    「というのも、各々は直接的に他者のうちに自分を知るからであり…しかもそれによって、各々が、他者もまた同じように彼の他者の内に自分を知るのだ」(ヘーゲル『イェーナ体系構想』法政大学出版局) 「臨場性」はなぜ必要か コロナ禍の中で、心から消滅して欲しいと思ったのは「ハンコ」である。 大学が入構自粛になっているのに、ハンコを押すためだけに出勤することの徒労感。そういえばうちの大学では、会議からはほぼ完全に紙資料が駆逐されて、タブレットで会議資料を閲覧することになりはしたけれど、「ワープロで作成しプリントアウトした紙資料に押印したものをスキャンしてPDF化」という純和風デジタイズが横行しており、電子署名などまだまだ imagine the future の彼方——内輪ネタですみません——というありさまだ。というか、そもそも現政権におかれましてはIT担当大臣が日はんこ議連議長を兼任、という漫画のよ

    人は人と出会うべきなのか|斎藤環(精神科医)
  • 生きる目的なんて無いが、生きがいは有る。問題は、2つを混同させることにある。

    生きる目的なんて無い。だが、生きがいは有る。問題は、2つを混同させることである。 「誰かに誉めてもらうため」に生きているのなら、誉めてくれる人がいなくなった時点で、生きる目的がなくなる。しかし、それはおかしい。したがって、「誉めてもらうことを生きる目的とする」前提がおかしいことが分かる。 たとえば、誰かに誉めてもらうために努力し、「良い子」「良い生徒」「良い社会人」「良い夫」をするのもいい。だがその努力は、「誉めてもらうと嬉しい」のであって、そのために生きているわけじゃない(ここ重要)。「誉めてもらうこと」を目的にしてしまうと、誉めてもらうためにする「良い〇」に飽きたり疲れたりした時点で詰む。「良い〇」でないからといって電車に飛び込む必要なんて無いし、誉めてくれなくなった誰かを憎むのもおかしい。 そして、「誰かに誉めてもらうため」の代わりに、「社会に貢献するため」「子孫を残すため」「家族を

    生きる目的なんて無いが、生きがいは有る。問題は、2つを混同させることにある。
  • 死は借りてた肉体を返すような感覚に近い

    なんとなく自分の肉体が自分のものじゃなくなるような感じといえばよいだろうか。 というのも、この年になってからというもの、無自覚に行動していることがとても増えたと感じるからだ。 理性というものが希薄になっていって、来の動物の営みに近づくような感覚。 来自由に生きたいだけの能に、寄生虫のように勝手に住み着いているのが理性なのだろう。 能が返せ返せと言っているように聞こえるような気がしてならないのだ。

    死は借りてた肉体を返すような感覚に近い
  • 障害者は生まれてくるべきではない

    自分は障害者として生まれてきた。自分を産んだ時、自分の親は、まだ次の子を作れる年齢だった。 自分はほっとけば数歳で死んだのに、親は自分に手術を受けさせ、助けた。手術がよほど大変だったのか、親は次の子を作らなかった。 自分の障害は遺伝性ではない。親が手術を受けさせずに自分が死んでいれば、親は次の子を作ったはずで、その子は健常者だったはずだ。 社会全体で考えれば、自分が生まれてきたために、社会は健常者を一人失い、障害者が一人増えた事になる。 社会に迷惑をかけるべきではない、というのは、小学校で教わる道徳の基だ。自分は生まれてきた事によって、健常者を一人奪い、障害者を一人増やし、社会に損害を与えた。社会に迷惑をかけた。自分は、生まれてきた事自体が罪だった。罪を一生かけて償わなければならない。 障害者は生まれてくるべきではない。 補足2: 「すごいデタラメな論理で清々しい程に突っ込みどころしか無

    障害者は生まれてくるべきではない
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