「国」という言葉の二義性とあいまいさゆえに、国家権力が戦争とファシズムの渕に国民を誘惑する危険がある――。かつて国家秘密法案の危険性に絡めて、故・後藤昌次郎弁護士はこう語っています。私たちの「ふるさと」、習俗や文化、コミュニティとそれを取り巻く自然としての「くに」。そして、そのコミュニティとしての上に君臨し、これを支配・統治・管理する国家権力としての「くに」。 この同じ音を持ちながら、質的に違う「くに」を私たちは、ともすれば取り違えたり、すり替えられたりしてごまかされるのだ、と。そして1987年当時、国会再上程が懸念されていた国家秘密法案が守る「国」とは、何か、国を愛し、守る対象とは、前者の「くに」を守り、愛することなのかを、後藤弁護士は講演で問いかけました。 そして、彼はこの問いかけに戦前の治安維持法、軍機保護法、国防保安法が、国民の目と耳をふさぎ、戦争の実態を知らされないまま、「シナ」
先日、水産庁の資源管理あり方検討会が開かれた。この手の検討会が開かれるのは実に6年ぶりである。6年前の検討会は、資源管理反対派を集めて、資源管理をしない言い訳を並べただけだった。今回も、俺以外はこれまでと同じメンバー。水産庁OBが大勢をしめる委員たちは、「日本の漁業管理はすばらしい」と自画自賛しているだけ。今年の3月から6月まで、密度が低い会議をたった6回しただけで、国の漁業政策の方針を決めようというのだから、乱暴な話である。 水産庁にとって、この手の会議は、財務省と政治家に予算をねだるための儀式である。議論の内容ではなく、会議をやったという既成事実が重要なのだ。会議の着地点(とりまとめ)は、あらかじめ決められている出来レースだ。その証拠に、俺以外の委員は、「日本の漁業は現状でうまくいっている」と言い張って、個別漁獲枠方式(IQ方式)の問題点を並べて反対していたのだけど、会議のとりまとめは
こないだツイッターって知ったネタです。 ・魂太郎三国志遺跡の1人旅 現在でも中国には各地に張飛の廟が残っているらしく、こちらの方はそのうち閬中の張飛廟に行かれたとのこと。 で、関帝廟に関平と周倉がいるように、張飛廟にも従臣がいたそうなのですが、、、 まずは入り口に名も無い武将で飾られ、その奥に張紹・雷同・呉班・張遵の4人の人形があって、その奥に神仏っぽくてあんまり似合わない(張飛さんスイマセン)張飛の像が。その両側に張苞と馬斉(誰?いやマジで)の人形があった。 いやマジで誰?(゚д゚) この馬斉、最初わかんなすぎてオリキャラかと思ったほどです。一応、実在はするにはするのですが、 ⇒wikipedia−「馬斉」 でも『三国志』楊戯伝が引く『季漢輔臣賛』にちょこっと記述があるだけ*1の人で、もちろん『演義』にも出てきません。 張飛との接点は、張飛が巴西太守だったときに功曹になり、のち推挙を受け
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