ブックマーク / number.bunshun.jp (8)

  • ジャイアント馬場没20年追善試合。棚橋弘至が全日本三冠王者にかけた技。(原悦生)

    「ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~」は2月19日、両国国技館で行われた。 大会のオープニングを馬場のライバルであったアントニオ猪木が務め、試合には全日プロレス、新日プロレス、大日プロレス、ノアなど内外のプロモーションからミル・マスカラスら61選手が参戦した。 ゲストには坂口征二、ドリー・ファンク・ジュニアやスタン・ハンセン、初代タイガーマスク、武藤敬司、馳浩らの姿もあった。 馬場の好敵手だった「黒い呪術師」アブドーラ・ザ・ブッチャーの引退セレモニーも行われた。78歳になったブッチャーは今では単独での歩行は困難で、2012年に引退を表明していた。ブッチャーは49年間のプロレスラー人生にピリオドを打つ10カウントを聞いた。 ブッチャーは目を潤ませながら「サンキュー」を繰り返して「この場に馬場にいてほしかった」と語った。 ブッチャーと馬場の死闘。 ブッチャーは馬場と日プロレス

    ジャイアント馬場没20年追善試合。棚橋弘至が全日本三冠王者にかけた技。(原悦生)
    sampaguita
    sampaguita 2019/02/21
    "試合には全日本プロレス、新日本プロレス、大日本プロレス、ノアなど内外のプロモーションからミル・マスカラスら61選手が参戦"
  • 「えっ、捕手の年俸安すぎ……?」プロ野球のポジション格差を大調査。 - プロ野球 - Number Web - ナンバー

    人は結局のところ、他人のお金の話が大好きなんじゃないか。 「何をいきなり身もふたもないこと書いてんだ」との声をもらうことは承知である。 でもネットニュースで「27歳外資系社員 年収1000万円でも生活苦」なんて見出しがあったら、うっかりクリックしてしまう。なんて心当たりはないだろうか。 スポーツでもそうだ。 契約更改は、野球ファンのオフシーズンのお楽しみの1つだ。来季に向けた選手たちの年俸が発表される。ただそれだけのことだが、ストーブリーグの恒例行事となっている。 どこで用意したんだ? という大きなハンコを抱えて笑顔の若手が「高卒3年目、史上最速1億円到達!」とか、渋い表情をしたベテランが「野球協約の制限超える75%ダウン」といった感じで大きく報じられる。 その辺り、オフシーズンでも野球からの興味を失わせないシステムが確立しているんだな、と思う。一方で、よく考えれば人の給料が上がった下がっ

    「えっ、捕手の年俸安すぎ……?」プロ野球のポジション格差を大調査。 - プロ野球 - Number Web - ナンバー
    sampaguita
    sampaguita 2018/11/09
    "実績を積み上げた炭谷と嶋でも1億円そこそこ" "結局打たないと年俸は上がらないのか"
  • 甲斐拓也を支える捕手用具の匠。大阪の下町メーカーの技術とは。 - プロ野球 - Number Web - ナンバー

    広島を破った今年の日シリーズで、最も評価を上げたソフトバンクの選手は甲斐拓也捕手だ。 第1戦で代走の切り札・上崇司の二盗を阻み、第2戦では鈴木誠也、第3戦では田中広輔、第4戦では安部友裕、第6戦で田中、安部とすべて盗塁を刺した。レギュラーシーズンではリーグトップの95盗塁を記録した広島の足を、完全に封じ込めた。わずか2安打の野手がシリーズMVPに選ばれたこと自体が異例だった。 「投手が牽制だったりクイックを一生懸命やってくれた結果。自分の力だけではできないことなので、感謝したいです。広島が機動力を使ってくるのは予想していたので、準備はしていたんですが正直、不安が強かったです」 今季の盗塁阻止率.447は12球団トップ。パ・リーグファンには認知されていた甲斐キャノンは、見事に全国区になった。どこが優れているのか。2001年に.543など、リーグトップの盗塁阻止率を5度記録した谷繁元信氏は

    甲斐拓也を支える捕手用具の匠。大阪の下町メーカーの技術とは。 - プロ野球 - Number Web - ナンバー
    sampaguita
    sampaguita 2018/11/08
    "捕手にとって最も大切な商売道具をサポートしているのが「ハタケヤマ」というメーカーだ。野球用品全般を製作しているが、プロ野球界から圧倒的な支持を得ているのが捕手用具"
  • プロ選手たちの証言。高校野球での「水を飲むな」の境界線は松坂世代?(小西斗真)

    テレビをつければ「危険な暑さが続きます」と警告され、インターネットでも「○日連続の猛暑日」だと教えてくれる。やれ「観測史上初」だの「熱中症で搬送されたのは○人」だのと聞きながら、白球を追っていた元球児や野球好きのオヤジはこう思うのである。 「俺たちのころはこんなに暑くはなかったよな」。 「でも水、飲んじゃいけなかったんだよな」と。 そう。昭和の野球部員は全員丸刈りで、練習中に水など飲めず、そして理由などなくとも殴られた。現在は丸刈り(それでも強制したらアウト)を除けば、命令した指導者は即刻追放される。もちろん、いずれも間違っていると気づいたから正された。 根は旧日軍の体質では。 なぜ水は飲めなかったのか。今の球児にとっては、そもそも意味がわからないことだろう。その根にあるのは旧日軍の体質だと思う。 指導者は上官。その命令は絶対服従だというつくられた威厳。そして甲子園に行くのは厳しい

    プロ選手たちの証言。高校野球での「水を飲むな」の境界線は松坂世代?(小西斗真)
  • 交流戦「パが強い」というよりも……。過去12年で負け越し69の球団が。(広尾晃)

    5月30日から、NPBは交流戦が始まった。セ・リーグとパ・リーグのチームが真剣勝負で対戦する。昭和の野球を知るオールドファンからすれば夢のようなカードだが、今季で13回目、すっかり定着した。 心待ちにしている人も多いだろうが、あまりうれしくないファンもいるのではないか。 そう、セ・リーグのファン各位だ。 過去12年間で11回もパ・リーグが勝ち越している。 <2005年からの交流戦の戦績。パ側から見た勝敗と勝率> 2005年 105勝104敗7分 .502○ 2006年 108勝107敗1分 .502○ 2007年  74勝 66敗4分 .529○ 2008年  73勝 71敗0分 .507○ 2009年  67勝 70敗7分 .489● 2010年  81勝 59敗4分 .579○ 2011年  78勝 57敗9分 .578○ 2012年  67勝66敗11分 .504○ 2013年  8

    交流戦「パが強い」というよりも……。過去12年で負け越し69の球団が。(広尾晃)
  • レッドブルで疎外感と戦った4年間。F1引退のウェバーが涙を見せた理由。(尾張正博)

    アブダビGP、アメリカGP、ブラジルGPと最後3戦を2位、3位、2位と好成績でキャリアを締めくくったウェバー。 アメリカGPが開催されたテキサス州オースティンのパドックで、ささやかなイベントが行なわれた。 それはマーク・ウェバーがパートナーであるアン・ニールと両親に囲まれての記念撮影会だった。今シーズン限りでF1を引退するウェバー。しかし、最終戦は翌週のブラジルGPである。にもかかわらず、彼女たちは最終戦に向かわなかった。ニールは言う。 「レッドブルがサンパウロでマークのために送別会をやるとは思わないから」 ニールは、ウェバーがまだオーストラリアでレースをしていたころに、父親のアラン・ウェバーからマネージメントを依頼されたのが縁で、その後プライベートでもパートナーとなり、現在はウェバーとイギリスで生活を共にしているイギリス人である。そのニールにとって、レッドブルでの最後の4年間は、辛い日々

    レッドブルで疎外感と戦った4年間。F1引退のウェバーが涙を見せた理由。(尾張正博)
  • 高木豊 「“蛙の子は蛙”ではない」 ~プロ野球選手の息子3人がサッカー選手になったわけ~(安藤隆人)

    ときに励まし、ときに挑発する。俊足巧打でならした名プレイヤーは、 自身とは違う道に進んだ息子たちに対して、父親としてどう接したのか。 高木家独自の教育方針に基づいた3兄弟への三者三様のアプローチに迫る。 「野球? やらせたいなんて全くなかったね」 『蛙の子は蛙』というが、高木豊にはこの概念は存在しなかった。かつて大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、日ハムファイターズに在籍した俊足好打の名選手。大洋時代は屋鋪要、故・加藤博一両氏と共に『スーパーカートリオ』として名を馳せた。現在はプロ野球解説者として、テレビや雑誌で幅広く活躍するが、彼の3人の息子たちは今、野球界ではなく、サッカー界に身を置いている。 清水に所属する長男・俊幸(20)、東京Vに所属(6月20日にオランダ・ユトレヒトへの移籍が発表)する次男・善朗(18)、東京Vユースに所属する三男・大輔(15)。3兄弟とも、世代別日本代表に選出

    高木豊 「“蛙の子は蛙”ではない」 ~プロ野球選手の息子3人がサッカー選手になったわけ~(安藤隆人)
  • 山下智茂・星稜総監督が初めて明かす、「松井5連続敬遠」の痛恨。~<'92年夏2回戦>星稜vs.明徳義塾~(石黒謙吾)

    '92年夏、超高校級スラッガーを育て、日一を狙って甲子園に乗り込んだ 星稜・山下監督。だが、明徳義塾の徹底した敬遠策で、松井のバットは封じられ、大望は叶わなかった。 無念さを抱えながらも、18年間、沈黙してきた闘将が、重い口を開き、初めて“痛恨の一日”を振り返った。 「このゲームだけは、スコア見たくないねえ。敬遠と(投げ込まれた)メガホンと、それしか頭にないな、試合の印象はね」 目の前に差し出されたスコアブックに一瞬視線を落とし、星稜高校の山下智茂総監督は唸るようにそう言った。 筆者は31年前に星稜高校を卒業して以来、母校が甲子園で戦った40試合全てをスコアブックにつけている。いつもは空白になっている備考欄に記された「校歌中、帰れコール!!」の殴り書きが、あの時の喧騒を蘇らせる。 1992年8月16日に行なわれた星稜対明徳義塾の一戦。星稜4番の松井秀喜は、5打席連続で敬遠され、一度もバッ

    山下智茂・星稜総監督が初めて明かす、「松井5連続敬遠」の痛恨。~<'92年夏2回戦>星稜vs.明徳義塾~(石黒謙吾)
  • 1