日本オリジナルの道徳や神道とは何かを徹底して考え抜いた人物に、江戸時代の国学者、本居宣長がいる。宣長は当時の日本に深く浸透していた儒教や仏教という外来思想と格闘し、それらを振り払った先にあるはずの日本固有の道徳観念を析出すべく、本邦の古典を読み解いていった思想家だ。仮に宣長に対し、明治天皇の名において渙発された事を伏せたまま、教育勅語を見せたならば恐らく彼は即座にこう断じたはずだ。「このどこが日本の道徳か!儒教まみれではないか!」、と。 では、宣長の考える日本固有の道徳とは何か? 宣長の思索の特徴に「漢意(からごころ=儒教的な物の考え方)批判」と呼ばれるものがある。これは単なる中国批判ではない。はるか昔から中国文明の影響下にあった日本人には、ほぼ無意識のレベルにまで儒学的な思考様式が染み付いている。日本において善悪を判断し、物事の道理を明らかにすること自体、どこまで行っても漢意の枠組みから
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