2018年7月2日のブックマーク (1件)

  • 「児童虐待への処方箋は戦前道徳の復活」? 珍説をのたまうエセ保守議員の伝統軽視を斬る « ハーバー・ビジネス・オンライン « ページ 3

    オリジナルの道徳や神道とは何かを徹底して考え抜いた人物に、江戸時代の国学者、居宣長がいる。宣長は当時の日に深く浸透していた儒教や仏教という外来思想と格闘し、それらを振り払った先にあるはずの日固有の道徳観念を析出すべく、邦の古典を読み解いていった思想家だ。仮に宣長に対し、明治天皇の名において渙発された事を伏せたまま、教育勅語を見せたならば恐らく彼は即座にこう断じたはずだ。「このどこが日の道徳か!儒教まみれではないか!」、と。 では、宣長の考える日固有の道徳とは何か? 宣長の思索の特徴に「漢意(からごころ=儒教的な物の考え方)批判」と呼ばれるものがある。これは単なる中国批判ではない。はるか昔から中国文明の影響下にあった日人には、ほぼ無意識のレベルにまで儒学的な思考様式が染み付いている。日において善悪を判断し、物事の道理を明らかにすること自体、どこまで行っても漢意の枠組みから

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    sandayuu
    sandayuu 2018/07/02
    「昨今の日本に跋扈するこうした「自称保守」の人々は、単なる昭和初頭から終戦までの日本のファシズム期ファンクラブの不勉強で怠惰な会員に過ぎないのではないか。」