少なくともネット上では、オタクは猛然と反撃してくる存在であり、そのことはいい加減知られてきたのではないかと思う。それでもなお、オタクを選択的に叩こうとする動機は何なのだろう。事実をつきつけても修正されない根強さとともに、人間の心理的な誤謬として分析対象とされるべきだろう。
![伊藤 剛さんのツイート: "少なくともネット上では、オタクは猛然と反撃してくる存在であり、そのことはいい加減知られてきたのではないかと思う。それでもなお、オタクを選択的に叩こうとする動機は何なのだろう。事実をつきつけても修正されない根強さとともに、人間の心理的な誤謬として分析対象とされるべきだろう。"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/8811d6f009ce60a39a76c0c2007ca0cb55969efb/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F1601252088977461249%2FAueLzD04.jpg)
なぜ貧しい人たちは連帯しないのだろう。 「貧しい人たち」という主語は適切ではないかもしれない。 ここで指すのは、毎日真面目に働いているのに、給料が安くてギリギリで生活している人たちのことだ。 貧困がニュースで取り上げられるとき必ず出るのが、「その程度で貧困といえるのか」という意見である。 GDP世界3位の国なのに、子どもの6人に1人は貧困家庭。 この1行だけ読んでも、賃金の水準や所得の再分配がおかしいのが原因であり、自己責任の域を超えていることが伝わると思う。 だが、そういった社会のおかしさは指摘されない。 高年収層は貧困に無関心(貧しい人が身近にいないため、存在が信じられない)で、同じ低年収層どうしで「お前の苦しみは甘え」「自己責任」と叩きあっているような印象を受ける。 また、貧困女性がニュースで取り上げられる時、「女性は風俗で働けるからマシ」という意見が必ず出てくる。 (実際は、男性も
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く