今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ 〔3月21日号掲載〕 東日本大震災から1年、東京は目立たないところで深遠な変化を遂げている。毎日の暮らしは大して変わらなくても、人々は心の奥深いところで大地震が起きる可能性を常に考えるようになった。 今はみんな日頃の備えに熱心だ。確かに少しばかげているといえなくもない。昨年の今頃、私の自宅には地震に備えて非常用持ち出し袋が2つあった。それが今では5つ(学校にも別に1つ置いている)。自宅が360度どの方向に倒れてもいいように、通り側と裏庭側に分けて置いてある。 帰宅支援マップも数冊買った。いつか実際に家まで歩いて帰ってみようと思いつつ、まだ実行していない。それでも本を持ち歩いているだけで妙に安心する。地震関連の商品を見つけるたびに買い込んだが、安くはなかった。こうした備えは心配し過ぎでもあり、至極もっともでもある。要するに東京の街と同じで矛盾だらけなの
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