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昔話と日常に関するsasuke8のブックマーク (13)

  • 闇 Advent Calender 11日目

    はじめに -------- いまから書かれることは、フィクションです。 0. 負 ----- 中学時代のことを話そうか。一応、中学時代に関しては、俺が余りにも気持ち悪がられていて、女子が逃げるということがあったことがあった。クラスの中で気持ち悪い人間ベスト二人に入っていた。そのころ、何も考えていない馬鹿な中学生だから、女子が逃げることが楽しくておいかけていたら、女子が泣き出してその女子の彼氏が睨みつけられたことがあった。 いまでも後悔していることの一つに、中学時代にパソコン部に所属したことがある。当時、MSXというのを所持しており、そのプログラミングを書いていた自分は、パソコン部にいけば、もっと面白いプログラムを書けると思っていた。しかし、そのパソコン部はまあクソみたいな規則があって、一年のうちは「一太郎(Wordだと思ってくれればいい)」しか触らせてくれなかった。俺はプログラムが書きたか

  • 自殺した父について今、僕が思うこと - Everything You’ve Ever Dreamed

    北鎌倉にあるお寺へ墓参りに行った。と母と一緒に。父が死んで二十年。前日の台風が残していった風にあおられて線香に火をつけるのに苦戦しながら、この煙で燻され、ゾンビ化した父が墓から這い出てきたら…というどうでもいいことに想像力を浪費していると、家族連れだろうか、イーチ、ニー、サーンとどこからか子供たちの声。その声は僕に父との風呂を思い出させた。 父は僕と弟を湯船につからせるとゆっくり百まで数えさせた。父の風呂は当に、当にあつかった。僕らは大人の熱さに、数えるのを速めたり、数字を飛ばしたり、胸までお湯から出したりして対抗した。そのあとには恐怖の「10やりなおし」がいつも飛んできて、僕らが湯船から出るときには百をゆうに越える数を数えさせられていてゆでダコのように赤くなっていた。二匹のゆでダコの指先はふやけてしまっていて僕ははやく大人になって一人で風呂にはいる権利がほしいとそのふにゃふにゃの指

    自殺した父について今、僕が思うこと - Everything You’ve Ever Dreamed
  • あとがきにかえて / 記憶の断片が行動を左右することは意外によくある - 回転図誌

    最後の写真をblogに掲載してから、bachihebi(仮)は長い溜息をついた。 ――やっと終わった。 達成感と言える程の感動はない。 写真を一枚撮って掲載するだけの単純な作業である。毎日続けたとは言え、たったの四ヶ月足らず。 そもそも、blogの内容は自分のモノだ。望み通り始めて、望み通り締め括ることができた。それ以上の経過は望むべくもない。 ただ、気楽だったというわけでもない。写真に添える文章が思い浮かばないまま、二時間以上も編集画面を凝視していたことは一度や二度ではない。 それなりに真剣だったのである。途中で止めようとは一度も思わなかった。心配だったのは不測の事態で中断してしまうことであり、自分の意思で止めようとする事は考えられなかった。 何故だろうか。何故、この企画を始めようと思ったのだろうか。 元は、稲の生育を毎日観察したら面白いのではないか、という位の発想だった。 だが果たして

    あとがきにかえて / 記憶の断片が行動を左右することは意外によくある - 回転図誌
    sasuke8
    sasuke8 2010/09/01
    いつも楽しみにしてました。これからも楽しみにしますけど。
  • Hatena ID

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  • 魔法使いの思い出 - 春巻たべた

    中学時代の思い出話をしよう。まず登場するのは当時の友人、ピアノの君だ。実際のところ同じクラスになったことは無く、友人と呼ぶほど親しくも無かったのだけれども、そいつはスラっと背が高くて運動もできて、成績は中の上くらいだったと思うが性格は明朗快活で少々不埒、ブラスバンド部でサックスなんてやってたりして、まあ一言で言えば華のある野郎だった。どこのクラスにも一人は居るみんなの人気者、先天的なリーダー体質ってやつだ。男子校だったからよかったものの、もし共学だったら女子総取りで大変だったろう。俺達が。 ある日の放課後、音楽室でそいつがピアノを弾いてるのに出くわした。弾いてたのはB'zのBLOWIN'とか、そんな感じの歌謡曲だったと思う。周囲には10人ばかりの人だかり。その中に俺の親しい友人を見つけて、俺もその輪に加わってみた。どうやら周囲の人間がリクエストを出して、ピアノの前の彼がそれを弾いてみせる、

  • 駄菓子屋ガール・ロックンロール - Everything You’ve Ever Dreamed

    地元にある駄菓子屋は婆さん一人で切り盛りしてるような小さい店でお世辞にも綺麗とはいえない。もう25年も前の話になるのだけれど、婆さんの駄菓子屋の店頭にはカラフルな飴玉がつまった瓶、駄菓子、水風船、零戦ヒコーキが溢れ、毎日のようにボンクラ小学生が取り囲んでいた。僕もそのうちの一人で「うまい棒」や「よっちゃんイカ」や「ベビースター」を毎日のように買っていた。そこは僕らの宝島だった。 ガンプラが流行ったとき、プラモ屋が「ド・ダイYS」とザクの「武器セット」を抱き合わせにするような阿漕な商売をして、「あそこではもうプラモ買わねー」「エンガチョ」「店の前に犬のウンコ置いちゃおうぜ」「立ちションしよーぜ」と百円玉3枚を握り締めたボンクラ小学生の失望と顰蹙と怒りの標的になったけれど、婆さんはそんな商売っ気を微塵も見せることなくガンプラが入荷するや否や「シャーガンダムあるよ〜」と僕らに声を掛けてひとつずつ

    駄菓子屋ガール・ロックンロール - Everything You’ve Ever Dreamed
  • あの夏、地上最大のオッパイが。- Everything You’ve Ever Dreamed

    ピーチジョンのエロティックな広告写真。ホームに滑り込む電車の騒音をバックミュージックに、それを舐めるように見ている僕の後ろを一人の淑女が通り過ぎて行った。振り返り横顔を見る。間違いない。彼女だ。あの夏、僕の人生を、僕の未来を変えてしまった地上最大のオッパイの主。ヴィーナス。声をかけようとしたが名前を思い出せなかった。あれほど追い求めた存在であったのに。 1991年の夏。高校三年生だった僕と悪友の西ヤンは腐っていた。真面目にやっている連中、反抗している連中、すべてを斜めから見ていた。授業。夏期講習。体育祭の創作ダンスの練習。すべてをサボタージュして大半の時間を第二校舎の屋上で潰していた。僕らは屋上を「ヘヴン」と名付けて、毎日のように、流れていく雲や富士山のシルエットを眺めたり、昼寝をしたり、買ってきたエロを模写するという意味のない行動をしていた。空は青く、太陽の陽射しは心地よかった。いつか

    あの夏、地上最大のオッパイが。- Everything You’ve Ever Dreamed
    sasuke8
    sasuke8 2008/06/02
    「おっぱいを揉む」ことはすごいことなんだ。すごいことなんだよ。
  • 水木先生の思い出

    幼少の頃から自分は水木しげる先生の大ファンで 毎月、ゲゲゲの鬼太郎の載っている掲載紙を友達から貰って読んでは感想を送ったり 水木先生には及ばないが3日かけて背景を点描したりして絵を模写しては 掲載紙(ボンボンだったか…)に送ったりしていた。 ある時、水木先生の画集が発売されるという話を聞いた。 小学生の自分には手が出ない金額だった。 親にねだろうにも当時は母一人子二人というほぼ極貧生活で、母が毎日深夜まで パートや仕込みの仕事をしているのを見ていると、とても言い出せなかった。 その「すごい画集」を指をくわえて見ているしかなかった。 しばらく経って学校帰りに妹を近所の家から回収して宿題をしていると、大きな郵便の箱が届いた。 自分宛で差出人は水木しげる先生だった。 帰って来た親の了解を受けてから箱を開けるとその「凄い画集」が入っていた。 水木先生の手紙と直筆のイラストと一緒に。 手紙には「増田

    水木先生の思い出
  • 大統領と握手 - 飲めヨーグルト

    もう、ずいぶんと昔の話になってしまうのだが、僕は大統領と握手をしたことがある。大統領と言えば、もちろんそれはアメリカ合衆国大統領にほかならない。これはたまたまトイざラスで買い物中の大統領に出くわした……とかいうわけではない。2000年に開催された九州沖縄サミットの際、当時のアメリカ合衆国大統領ビル・クリントンが糸満の平和記念公園で沖縄県民に向けて演説をする、というイベントがあったのだ。演説終了後には、大統領と地元の高校生たちが友好的に握手を交わす、という場面があらかじめ用意されており、当時まだ沖縄の高校生だった僕も、握手用のモブとして選ばれたのだった。僕は当時、料金以下のマズイめしをわせるレストランでさえも気前よくおかわりをオーダーしてしまうような、いわゆる優等生のレッテルをはられた存在であったから、こうした役割にはうってつけだったのだろう。最初のうち、僕はこのことについてとくに何も考え

    大統領と握手 - 飲めヨーグルト
  • ちょっと昔話をしよう。

    僕は中学、高校の時、ぶっこわれてた気がする。 友人と深夜語り合いながら思い出した自分は、「思春期だったから」ということで片付けられないような怖い自分だった。 僕は中学の卒業式にもらった色紙や、後輩からの手紙が一枚も残っていない。 なぜなら、やぶいたから。 卒業式の日、沢山の後輩と話して手紙ももらった。部活の同級生とは色紙交換したり、「高校でもハンドボールやろうな」なんて熱く語り合っていた。 それから2、3日たって、僕は家で一人手紙や色紙を読み返していた。ふと思った。「これやぶいたらどんな気持ちになるのかな」 やぶった。全部手で何回も引き裂いて、きれいにまとめてごみ箱に捨てた。その時の感想はまだ覚えている。「ふーん。」それだけだった。 今だったら絶対できない。やぶかれたら、やぶいたやつをぶちのめす。絶対。絶対変だったんだ。 まだある。 高校の時、彼女がバレンタインに大きなチョコレートケーキを

    ちょっと昔話をしよう。
  • 寒くなる - ブーログ

    火曜日。すっかり寒くなった。 少し親父のうちの話。親父はうちにとっては婿で、生家は山梨の田舎、万力公園のあたりから細くうねるブドウ畑の合間の山道を車で30分ばかり登ったところにある。もう15年ぐらい行ってはいないが、子供の頃は毎年元日の夜から2日にかけて、父と母、オレと兄貴と姉の子供3人がお年始に行くのが慣例だった。しんと冷える板張りの農家の居間で、炭を入れた掘りごたつにあたり、お年玉をもらい、高校生になるぐらいからは酒を飲む輪にも入った。祖母はやさしい顔をした小さなひとだった記憶があるが、まだ僕が小学校にもあがる前に亡くなった。祖父は豪放な人で90近くまで生きたが、やはり僕が高校にあがる前には亡くなっていた。父にはひとり兄がいて、祖父の弱くなったあとはその人が世帯を継いだ。息子が2人、娘が1人いて、子供の頃はよく一緒に遊んでもらった。奥さんは、おとなしいひとだった。田舎の専業農家の正月、

  • ディオーネ めちゃ得ウルトラ窓杜なび

    ディオーネ:安心で効果的な脱毛サロンの特徴 1. 最新の技術を使った安全な施術 ディオーネは、最新の脱毛技術を使って安全な施術を提供しています。だから、みんなが安心して通うことができるんだ。 2. カウンセラーが相談にのってくれる 施術前には、カウンセラーが顧客の肌や毛の状態をチェックして、一番いい脱毛プランを提案してくれるんだ。自分にぴったりの脱毛方法を一緒に考えてくれるんだよ。 3. 施術中もリラックスできる空間 ディオーネの施術ルームは、とっても快適なんだ。施術中もリラックスして過ごせるから、痛みやストレスを感じることなく脱毛を受けることができるんだ。 4. 明確な料金設定で安心 料金はわかりやすく、追加料金や隠れたコストがないから、安心して通えるんだ。自分の予算に合わせて脱毛を受けることができるよ。 5. 広いメニューから選べる ディオーネでは、全身脱毛から部分脱毛、フェイシャル脱

  • 小六のおれとグンゼとカルバン・クライン -

    おれが小六のころ、男子には二種類いた。グンゼとカルバン・クラインだ。グンゼならお母さんに頭が上がらない子だし、カルバン・クラインなら流行に流されやすい子だった。全員がどちらかだった。 体育前の着替えではカルバン・クラインはそれなりに堂々としていたし、グンゼならすこし恥ずかしがっていた。いじめっ子のタカハシもこのときだけは小さくなっていたし、ヒョロいワダはいつもより目が輝いていた。 ただソウマだけはちょっと違った。グンゼを恥ずかしがらずにむしろグンゼを生かしていたと言える。チンコを股にはさみ、グンゼの両端をぐいとひきあげTバック状態にして「ハイレグー」なんてやっていたのだ。学年で一番の美少女の名前を口にしながらくねくね歩いていた。「ユミコー!」「わははは」みんなで笑っていた。 ある日、女子代表のスズキが仲間数人と一緒にソウマを取り囲んでいた。 「あたしらが何も知らないとでも思ってんの!」 「

    小六のおれとグンゼとカルバン・クライン -
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