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オタクと人物に関するsatisのブックマーク (2)

  • 漫画を通して国境を超える翻訳家、スタンザーニ詩文奈(シモーナ)さん | TRiPORT(トリポート)

    旅を通して新しい港を探す、TRiPORTライターのレティです。「なぜ日語を勉強しようと思いましたか?」これは、日語が話せる外国人なら常に聞かれる質問です。その答えは多様多数でしょう。歴史ファッション、文学などそれぞれの興味に惹かれて日語と日文化を学び始めたわけです。不思議なことに、そのなかでしばしば耳にする答えがあります。それは「マンガとアニメ」。「三島由紀夫」だとピンとこないかもしれませんが、「ドラゴンボール」なら欧米からアジアにかけて誰でも知っています。それくらい日のサブカルチャーの力は強いです。もはや日のものだけではなく、国境を越えた漫画は世界の国々では日常生活の一部となっています。今日は22年前からずっと、漫画を通して日文化を世界中に広めている翻訳家、スタンザーニ詩文奈(シモーナ)さんにお話を伺いました。 夢から夢へと――翻訳家活躍の始まり― 詩文奈さんと漫画との関

    漫画を通して国境を超える翻訳家、スタンザーニ詩文奈(シモーナ)さん | TRiPORT(トリポート)
    satis
    satis 2014/11/06
    最後にオススメされてた「死役所」がすごくグッと来た。異文化に飛び込んで自分の審美眼で逸品を見つけ出す良い目利きは、オタクとして素直に尊敬。
  • dragoner.ねっと: ミリオタ宮崎駿の少年時代

    私はまだ観ていませんが、ツイッターでも評判が良いので、時間が出来たらすぐにでも観たいと思います。 ところで、風立ちぬが零戦設計者の堀越二郎の話であることから見ても分かるように、宮崎駿はかなりのミリオタです。それも、ミリオタ、ロリコン、社会主義者と、1つでも業が深いモノを3つも抱えた3重苦です。恐ろしく業が深い人間です。 こんなたくさんの業を抱える前、若き日の宮崎少年はどんな人物だったんでしょうか。 それを窺わせるものが、ネット上で話題になったことがありました。 それは、若き日の宮崎駿(17歳)の「世界の艦船」誌への投稿です。 この投稿は「世界の艦船」1958年5月号の読者欄に掲載されたものです。ネット上では、この部分しか出まわっておらず、何故宮崎駿がそれを書き、その後どうなったのかの経緯は明らかにされていませんでした。 今回は、宮崎駿がこの投稿を書いた背景と、その後の展開についてご紹介した

    dragoner.ねっと: ミリオタ宮崎駿の少年時代
    satis
    satis 2013/07/24
    艦船総合雑誌「世界の艦船」の読者投稿欄から見る、軍事オタクとしての少年宮崎駿について。当時ツイッターとかあったらどうなっていたのやら(;´∀`)
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