タグ

ブックマーク / medt00lz.s59.xrea.com (4)

  • 見栄の力について - レジデント初期研修用資料

    同じ領域で仕事を続ければ、たいていの人はその分野に熟達していく。このときに、単に仕事がこなせるレベルに留まる人と、その分野の話題を深く理解して、ひとつの世界のように語れるレベルに到達する人とがいるのだ、という文章が話題になっていた。 両者を隔てる要因はいくつもあるのだろうけれど、「見栄」の有無という要因は、案外大きいのではないかと思う。 その分野を面白く思う人は、物事を深く理解するかもしれないけれど、学んだ知識を系統だって語れる人は案外少ない。見栄という動機で得られるのは上っ面の理解でしかないかもしれないけれど、見栄を張り続け、知ったかぶりをあらゆる角度から極めたその人もまた専門家と呼ばれ、実際問題としてその領域を一番詳しく、系統だって語れる場所に到達してしまう。 面白くあり続けるのは難しい 特別な経験は誰もが持っていて、ネット上で日記を始めた最初の数カ月、話題は多く面白く、それほど大きな

    satis
    satis 2012/11/22
    ブログを続ける秘訣、というかネット芸人を続けるための秘訣について。他者の視線に気を配ることで多角的な視点を手に入れるという「見栄」の効用。
  • 必要なものとほしかったもの - レジデント初期研修用資料

    「必要なもの」の反対語は「ほしかったもの」なのだと思う。 必要なものは目的が作り出す。たいていはいつでも買えるし、買った結果は見通せる。ほしかったものは出会いが作り出す。出会ったその瞬間まで、お客さんは「それがほしかった自分」がいたことなんて想像だにしない。 必要なものはあらかじめ想定された選択肢であって、買い叩かれる対象でもある。それが必要なものになったその途端、その商品は価値を失うと言い換えてもいい。欲しかったものは、出会う時まではお客の頭に存在しない。選択とは無縁の何かで、価値は下がらない。 田舎のホームセンターは十分に大きくて、必要な物はなんだって揃っているのに、欲しいものが何もない。何かの機会に東京に出かけると、地下街を歩くのが常なのだけれど、欲しかったものばかりがそこにあってびっくりする。実際にそれが必要かといえばそうでもないし、ホームセンターを探せば、欲しかったその商品と同じ

    satis
    satis 2012/07/30
    『鶏の群れの中になぜかペンギンが突っ立ってるような違和感がある。卵を生むのは鶏かもしれないけれど、お客さんはもしかしたらペンギンに飛びついて、この生き物をどうにかして家で飼えないものか思案する。』
  • 理不尽にやると上手くいく - レジデント初期研修用資料

    ちょっと前、「ジューサーの中に金魚を入れる」という現代美術の展示があった。 ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。 金魚の寿命を延ばすもの この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超えたら、ジューサーの電源が入ります」という看板を出しておくと、ボタンが押される閾値はますます下がる。 匿名ルールを廃して、たとえばTwitter のような、押した人をある程度トレースできるメディ

  • はじまりの物語 - レジデント初期研修用資料

    魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」 というWeb 小説を読んだ感想文。以下、「まおゆう」と略す。 学ばなくても社会は回る 自分は今でこそ、経済の視点を絡めた文章を時々書いているけれど、2005年頃までは、経済学に興味がなかった。 経済学の入門書だとか、教科書なんかに手を出したのはここ数年で、数年かかってようやく、何となく「経済学的な」ものの見かたみたいなのが身についた。それが学問としてどこまで正しいのかは、ちゃんと学んだわけじゃないから、検証のしようがないのだけれど。 2006年頃、ネット上ではいろんな人たちが経済を語っていたし、経済学的な視点というものの実例は、当時からいくらでも目にすることができたけれど、それを学んでみたいだとか、経済の視点で世の中を眺めて、果たして何が見えてくるのか、そういう想像も働かなかった。現代社会はすでに経済の考えかたで回っていて、回っている現状を

  • 1