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2013年6月2日のブックマーク (2件)

  • アラン・チューリング、その魂の灯火 - PICSY blog

    科学の世界に英雄はいらない。自然と真理のみが正義である科学にとって、科学の進歩を妨害する英雄史観は、せいぜい子どもたちの夢を育むひとつのきっかけにしか過ぎない。だが、アラン・チューリングという一人の数学者にして科学者が、かくも多くの研究者に感銘を与えるのはなぜだろうか。それは、彼の悲劇の人生とその研究内容がシンクロし、人生質的な問題を魂の灯火として仕事することを避けてはならないと励ましてくれるからではなかろうか。 今日からちょうど100年前の1912年6月23日、アラン・チューリングはイギリスのロンドンにて生を受けた。そして42歳で青酸カリによる服毒自殺で亡くなるまでの間に、「チューリング・マシン」、「チューリング・テスト」、「チューリング・パターン」、「チューリング・ボンベ」という4つの大きな仕事を成し遂げた。死亡時のそばの机の上にはかじりかけのリンゴが置いてあり、毒リンゴで自殺した

    アラン・チューリング、その魂の灯火 - PICSY blog
    satzz
    satzz 2013/06/02
    2012
  • アラスカでロシア語の方言発見 | ロシアNOW

    モスクワ大学外国語学部言語学・情報技術学科のミラ・ベルゲリソン教授と、ロシア科学アカデミー言語学研究所の研究者であるアンドレイ・キブリク氏は昨 年10月、アラスカ州ニニリチク村を訪れた。1847年に現れたこの村にはロシア人が住み、その後定住して現地の人々と融合していった。アメリカがアラス カを1867年に買収して以降、ニニリチク村のロシアとの接触は減少し、1960年まで他のロシア語話者と会話することはなくなった。 「このような辺境の地で、これほど長い期間、多くの人々の母国語としてロシア語が存在していた例は他に知らない」とベルゲリソン教授は述べた。 20世紀後半に起こったロシア系住民とのまれな出会いは、このようなケースには数えられないとキブリク氏は考える。「アラスカに来て、それほど遠くない ニコラエフスクに定住した、ソ連の船員や古儀式派との接触ならたまにあった。だが言語に影響するということは

    satzz
    satzz 2013/06/02
    「標準語のロシア語から完全に隔離された状態で約100年に渡り独自の発達を遂げてきたロシア語の方言を、オーディオとビデオに記録」