今朝の朝刊に、拉致被害者家族の横田夫妻が青森市で講演し、これで47都道府県すべてで講演したことになるとの記事が載っていました。お疲れさまですと、心から頭を下げたくなる思いです。 一方、まもなく迎える8月15日を前に、社民党の議員たちが、「首相の靖国神社参拝は許せない」などとうるさいです。セミの鳴き声など聞きようによっては風流にも感じますが、拉致事件解決の足を引っ張り続けた社民党の人たちが、何か大声で「自分達の正義」を主張しているのを見ると、正直なところ怒りがこみ上げます。 イザでも、何人かのブロガーさんが、北朝鮮のスパイ釈放要求書に菅直人・民主党代表代行が署名していた事実を指摘されていますね。週刊文春1989年9月28日号によれば、署名した国会議員は133人、そのうち119人が社会党でした! 社会党議員が119人もいるのも今となっては驚きですが、釈放要求対象者の中には、有名な拉致実行
エラー内容 以下のいずれかの理由により、該当するコンテンツを表示することができませんでした。 コンテンツの公開が終了した。コンテンツが削除された。 指定したURLが間違っている。その他、やむをえない事情があった。 ご不便をお掛けして申し訳ございません。 何卒よろしくお願いいたします。 イザ! イザ!トップへ戻る
2006年07月16日01:47 カテゴリ事務局長日誌 大辻隆弘氏への返答 大辻隆弘氏からの反論が、青磁社のHPに掲載されました。 朝日歌壇鑑賞会への反論 text:大辻隆弘 やはり、反論はしておこうと思う。 ネット上に「朝日歌壇鑑賞会」というホームページがある。そのなかの7月1日付の記事で私の歌が取り上げられていた。 横田早紀江といふ母 子をおもふ誠がやがておのづからナショナリズムを帯びゆくあはれ この拙作に対して、この鑑賞会の事務局長は当該の記事のなかで次のようにいう。 「あはれ」をどのような意味で使っているのかはっきりしませんが、おそらく「ナショナリズム=悪」と単純に思っていて、ナショナリズムを帯びるのが悪いと言いたいのでしょう。 彼はこのような解釈に基づき、私のこの歌を「心ない歌」と批判する。また、このページの「コメント」欄では、投稿者の発言に応対して私のことを「大辻隆弘は歌壇の中
ミサイル連続発射(愛媛新聞 オピニオン:地軸) きのう早朝、新潟県佐渡島の空に異変があったという。午前四時ごろ、西方が赤く染まっていたそうだ。「今まで見たことのない色になっていた」と七十四歳の女性は驚き、別の住民も「妙に明るかった」と証言した▲ そのころ、北朝鮮は日本海に向けて弾道ミサイルを発射していた。空の異変は、その影響なのかもしれない。それにしても北朝鮮は、なぜミサイルを立て続けに発射したのだろうか。いつものことながら、理解に苦しむ▲ 午前三時三十二分―。これが一発目の発射時刻。その六分後、米国は国の威信をかけてスペースシャトル「ディスカバリー」を打ち上げている。偶然とは、とても思えない。北朝鮮流の何らかのメッセージなのだろう▲ しかも、この日は米国の独立記念日。一七七六年、ジョージ・ワシントンが独立を宣言した日だ。三発目に発射され、米本土の一部が射程に入る「テポドン2号」は失敗した
「木製の小舟」の上でうっかり寝入ってしまい、大海原で北朝鮮の船舶に救助されたという金英男(キム・ヨンナム)さん(45)の会見内容について、金英男さんが当時行方不明となった仙遊島の漁民らは一様に「あり得ない話」という反応だった。 仙遊島1港のソン某さん(57)は「仙遊島は四方を島に囲まれており、船が簡単に外へ出ることはなく、金さんの行方がわからなくなった日には風もなかった」とし、「満潮なら群山側に、干潮なら蝟島側に流されるが、船が生い茂るリュウノヒゲモを越え、西の外海に抜けることはない」と話した。 仙遊島2港のキム某さん(61)の話も同じだった。キムさんは「満ち潮に合わせ、6時間ほど力いっぱいオールを漕がないと群山まで行けないと言われているのに、たとえ潮の流れが西北側に向いていたとしても、於青島を越えて50キロメートル以上も離れた海域に出るとは考えられない」と話した。 【特集】北朝鮮拉
まさに「予想通り」だった。金英男さんの記者会見のことではない。会見に対する日本マスコミの反応である。その兆候は再会実現の前からあった。とくにテレビなどでは今回の再会が「北朝鮮内」で行われるとして、自由な発言のできない雰囲気になるだろうことを、ことさら強調していた ▼案の定、再会実現の後は「北の思惑は何か」「仕組まれた再会劇」の視点で番組が作られ、記事が書かれていた。映像が急に変わったからと、「公開されてはいけない人物が映っていたのではないか」と〝推測〟し、「南の記者が7人しか入れてもらえなかった会見場に、なぜこんなに人が多いのか」と〝憶測〟を流す。では聞きたいが、日本でも番組を制作する際に不必要な映像は編集しないのか。人数が多いというが、会見場には当然北の記者たちもいたはずだ ▼初めから結論ありきの報道ばかり。コメンテーターもそれをバックアップする発言が目立った。経緯がどうあれ、28年ぶり
最新モードも伝統衣装も、いったん身にまとわれると衣服は生活や文化の一部となり、ひいては社会や政治の問題となる。 98年の北朝鮮ミサイル実験、また最近では拉致問題などで、朝鮮学校の女子生徒たちがチマ・チョゴリ制服を切り裂かれるなどの被害にあっているという。チマ・チョゴリは国家の象徴に読み替えられ、卑劣な暴力の的となった。しかし、北朝鮮や韓国ではチマ・チョゴリという民族衣装を制服として着ることはない。ではなぜ在日の生徒たちだけがそれを着ているのか。 韓東賢の『チマ・チョゴリ制服の民族誌』(双風舎)は、衣服の背後にある隠された歴史に迫る興味深い本である。チマ・チョゴリは60年代前半、在日朝鮮人による「祖国志向」のナショナリズムが高まる中で学校に導入されていく。だがそれは在日コミュニティーや学校側が「上から」押し付けたのではなく、むしろ女性たちが自発的に着るようになったのが発端であった。彼女たちは
北朝鮮拉致被害者の金英男(キム・ヨンナム)さん(45)が29日の記者会見で、「拉致でも自主的な越境でもない、偶然の出来事により北朝鮮に渡った」と主張したことについて、ほぼ同じ時期に北朝鮮に拉致された息子や兄弟を持つ他の被害者家族は「あきれてものも言えない」と口をそろえた。 金さんと同じ月に西海岸で拉致された洪建杓(ホン・ゴンピョ)さん(当時忠清南道天安商業高校3年)の弟、ホン・グァンピョさん(39)は30日、本紙との電話インタビューで「話している姿を見て、本当に話にならないと思ったが、一方で『あのようにしか話せない状況なんだな。そんなところで28年を生きてきたんだな』と思うと心が痛んだ」と話した。 1977年8月に西海岸で拉致された崔承民(チェ・スンミン)さん(当時平沢テグァン高校2年)の父、チェ・ジュンファさん(77)も「さも自分が望んだことのように話している姿を見て、北朝鮮がどれほ
北朝鮮拉致被害者の家族団体は北朝鮮側が設けた金英男(キム・ヨンナム)さんの記者会見について「失望した」と話した。 北朝鮮拉致被害者家族会の崔成龍(チェ・ソンヨン)代表は「拉致被害者問題の解決は拉致事実の認定が出発点」とし、「28年前に高校生だった金さんが自分の意志で北朝鮮入りしたという話を誰が信じるだろうか」と話した。 北朝鮮拉致被害者・脱北者人権連帯の都希侖(ト・ヒユン)事務総長も「北朝鮮拉致被害者の家族の心情を政治的に利用したショーに過ぎない」とし、「政府は自国民保護という原則にのっとってこの問題を解決していくべきだ」と話した。 北朝鮮拉致被害者の家族らは、今回のように離散家族対面行事に拉致被害者を含めて対面させる方式には問題があるとした。 崔代表は「強制的に拉致された人と、戦争による離散家族は問題の性格も解決方法も異なる」とし、「加害者が先に謝罪を行い、送還を前提として問題に
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