歴史 豊中市中心部周辺の空中写真。1985年撮影の12枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。 市町村名の由来 豊島(てしま)の名が文献にみられるようになったのは和銅5年(712年)太安万侶が撰上した『古事記』中巻からで、その後、神護景雲3年(769年)称徳天皇が豊島の人15人に姓(カバネ)を賜わった記録が『続日本紀』にみられる。 1889年(明治22年)の町村制施行により豊島郡豊中村が発足。「豊中」の地名が生まれたのはこのときで[7]、豊島郡の中央にあることから名付けたと伝えられている。これらの「豊」の字は旧字体では「豐」であり、「豐中」と表記した(器を意味する古字の「豊」ではない)[要出典]。 年表[8] 近世まで 684年(白鳳12年) - 天武天皇が桜塚の祇園神祠(現在の原田神社)で勅祭を執り行い、神宝・神鏡ならびに獅子頭を奉納する。桜