あけましておめでとう! いつも見に来てくれるみんながいるおかげで今日まで続けることができたよ。今年もどうぞよろしくお願いします! 今ではLINEスタンプぽ〜ん!な新年のあいさつもあるけれど、かつて日本では、新年を祝う挨拶状といえば年賀状だった。 もちろん今もその伝統は続いているが、今年の干支は兎(うさぎ)。ということで、昔の人はどんな年賀状の図柄を使っていたのか? 1900年代、明治から昭和初期にかけて作られた、うさぎモチーフの年賀状を見ていくことにしよう。
九龍城砦は、香港・九龍の九龍城地区のことで、かつてはそこに巨大なスラム街が形成されていたところ。 1898年、イギリスが中国清朝から香港島や九龍に隣接する新界、及びランタオ島をはじめとする香港周辺200余りの島嶼部を99年間租借したのだが、九龍城砦は例外として租借地から除外され清の飛び地となった。後にイギリスの圧力で清軍・官吏等が排除されてしまい、以後中国大陸が中国国民党率いる中華民国となって以降も、事実上どこの国の法も及ばない不管理地帯となったんだ。 香港政庁の力も、英国の管理も及ばないこの地に、中国大陸からの流民がなだれ込みバラックを建設、その後スラム街として肥大化していった。「東洋の魔窟」と呼ばれ、「アジアン・カオス」の象徴的存在となっていた。 1984年の英中共同声明により香港が1997年に中華人民共和国に移譲、返還されることが確定。1984年、香港政庁が九龍城砦を取り壊し、住民を
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