ハンセン病の国立療養所菊池恵楓園(熊本県合志市)で、入所者が60年余り前から描いてきた絵画作品約430点をユネスコ世界記憶遺産に登録することをめざし、デジタル化する作業が3月から始まる。平均年齢84歳になった元患者たちの「生きた証し」を将来にわたって残そうと、記憶遺産の国内公募に応募する方針だ。 菊池恵楓園には1953年発足の絵画クラブ「金陽会」があり、会員が毎週金曜日に集まって創作に励んだ。国の誤った隔離政策で入所を強いられた人たちが心を癒やす場だった。 一時は15人以上いた会員も吉山安彦さん(87)だけになり、2003年から作品の展示会を企画してきた元熊本市現代美術館主任学芸員の蔵座江美さん(45)が「後世に残さなければ」と動いた。整理して保存に道筋をつけるねらいで、3月に作品の撮影を始める。作品は園内での展示のほか、世界中から鑑賞できるよう、インターネットでの公開も検討する。 吉山さ
国の強制隔離政策を違憲とした国家賠償訴訟の熊本地裁判決(2001年)から15年近く経過し、元患者の救済が一定程度進む中で家族たちが起こした今回の訴訟は、ハンセン病を巡る差別の問題が今も未解決であることを浮き彫りにしている。 家族が就職や結婚など日常生活のあらゆる場面で厳しい差別にさらされてきたことは、元患者が1998年に国賠提訴した時点で分かっていた。だが当時は差別を恐れて家族が孤立し、被害を訴えることができなかった。 03年に家族が集う「れんげ草の会」(事務局・熊本市)が結成されると、情報交換や連携が進み、「患者と同じような被害を受けたのに国から謝罪さえないのはおかしい」との意識が高まった。
難病の多発性硬化症と闘いながら音楽活動を続ける川崎市の歌手Keikoさんが28日、ライブハウス「ROUTE66」(川崎市麻生区)で、多発性硬化症を知ってもらうためのコンサートを開く。Keikoさんは「病名を言っても、どんな病気か分からない人が多い。ライブをきっかけに理解を深めてほしい」と話している。(加藤干城) Keikoさんは岡山市出身。短大卒業後、会社勤めの傍ら夜はライブバーなどで歌い続けてきた。店の雰囲気に合わせて洋楽、邦楽、オリジナル曲などを歌い分けている。 初めて症状が出たのは2012年。めまいが生じ、真っすぐ歩こうとしても、意思とは関係なく左方向にしか進めなくなった。入院して検査したが、異常が見つからず退院。その1週間後に自宅で入浴中、右半身が冷たくなり、温度が感じられなくなった。14年に目に異常を感じて診察を受け、病名を告げられた。 投薬治療で症状は落ち着いているが、「すぐに
1型糖尿病の患者児童が幼稚園などに入園拒否されている問題で、患者児童を担任している大阪府門真市の幼稚園教諭が自分の経験を資料にまとめた。児童と一緒に血糖値を管理している様子などをつづっている。患者団体などを通じて他の幼稚園などに資料を参考にしてもらい、入園拒否がなくなることを願っているという。 資料を作ったのは門真市の私立大阪ひがし幼稚園の教諭、宮本涼子さん(43)。昨年4月から、大阪市の太田慶子さん(38)の三女で、1歳の時に1型糖尿病を発症した日歌(にちか)ちゃん(5)を担任している。 資料はA4判6枚。日歌ちゃんが他の園児や職員と同じ部屋で自ら針を指先に刺し、血糖値を1日4回測定している様子を写真付きで紹介している。低血糖状態になった時に備え、園がラムネやジュースを預かっていることも記した。
精神障害者からの暴力に悩む家族を、どう支えていくべきか――。ポイントや注意点をまとめた冊子を、東京大大学院の蔭山正子助教(地域看護学)らが作った。社会から孤立し、追い詰められた家族が悲惨な事件を起こしてしまうケースが相次ぐ。タブー視されがちだった問題に目を向けてもらうことで、地域での支援につなげてもらうのが狙いだ。 冊子タイトルは「精神障がい者の家族が受ける暴力 私たち支援者が向き合うべきこと」。蔭山助教によると、精神障害者と家族への暴力の問題は研究があまりなく、支援者からも「どうサポートすべきかわからない」という声があったという。約5千冊を刷り、昨年12月から全国の保健所などに送り始めた。 暴力にさらされている家族は、そのトラウマでうつ状態になっているケースもある。医療機関などに相談に行っても混乱してうまく話せず、「困った家族」とレッテルを貼られてしまうことも。結果、ますます社会から孤立
映画監督の宮崎駿氏(75)が28日、東京都港区内で国立ハンセン病療養所多磨全生園(東京都東村山市)について講演し「おろそかに生きてはいけないと学んだ場所。生きることの苦しさに負けずに生きた人たちの巨大な記念碑を残してほしい」と、入所者の高齢化が進む同園の保存を訴えた。スタジオジブリによると2013年9月の…
東京都墨田区は2015年12月、同区内では初となるがん教育のモデル授業「がんのことをもっと知ろう」を、墨田区立業平小学校の6年生を対象に実施した。保健学習の一環として行われたこの授業に用いた教材は、がん教育を検討する過程で区や教育委員会らが共同して作成したもので、このようなケースは全国的にみても珍しいという。 教員やがん患者、区、教育委員会が一丸となってモデル授業を実施した目的は何なのか。墨田区 保健計画課の松本静さんに伺ったので、2回にわたって紹介する。 モデル授業のきっかけ モデル授業のそもそものきっかけは、2012年6月に閣議決定された「がん対策推進基本計画」にがん教育の推進が盛り込まれたことだった。それとは別に、2013年における墨田区のがんの死亡率は、男性が23区中7位で女性が同1位と、がんの死亡率が高いという素地もあった。 これらの現状を受けて、区は2014年に「墨田区がん対策
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