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ブックマーク / fox-moon.hatenablog.com (406)

  • 未来は過去の瓦礫の上に ―青函連絡船小話― - 書痴の廻廊

    小麦に限らず、艀荷役はよく積荷を落っことす。 何処かの誰かが到着を今か今かと待ちわびている大事な品を、些細なミスからついつい海の藻屑に変える。 大正十一年度には、青函航路――青森駅と函館駅との間を結ぶ、片道ざっと113㎞のこれ一をとってさえ、実に一千四百二十三件もの荷役事故が発生したということだ。 (函館港) 一千四百二十三件。 単純計算で、毎日最低三つの荷物を水没させていなければおっつかない数である。 北海道州に、もしくは州を北海道に繋ぎとめている重要航路に、なんという無駄な損失だろう。 宿痾なりと諦めるには、ちょっと(・・・・)以上に多すぎる。 当時の人もそう思ったらしい。対策が打たれ、効果を発揮し、昭和三年にもなると、同種の事故は年十三件まで低下した。 斯くも覿面たる対策とは、すなわち貨車航送法の導入。 汽車から船へ、いちいち荷物を移すなど、そんなまだるっこしい真似はせず。

    未来は過去の瓦礫の上に ―青函連絡船小話― - 書痴の廻廊
  • 活字に酔いつつ酒に酔う ―嗚呼ひとり酒の愉しみよ― - 書痴の廻廊

    酒の境地は独酌にある。親しき友あるもいい。宴会の酒は少しく社交に走らざるを得ない煩ひがある。要するに酒は環境による。 (いいことを言う) 大いに頷かれる記述であった。 (立ち読みで済ますのはもったいない) 心の天秤の指針が動き、「買うに値する」を指す。そうした次第で同書は現在、古屋の書架を離れて、私の机の上にある。昭和五年発行、鈴木氏亨著『酒通』というこの古書は――。 さしあたりざっと捲ってみると、巻末にこのようなものを見出した。 出版元の四六書院に、感想を送るためのハガキである。 正確には「愛読者カード」と呼ぶらしい。「東京市神田区通神保町一番地」とあるからには、さだめし人通りの多い、繁華な場所に門戸を構えていたのであろう。 とりあえずコレは切り離さずに、このままとっておこうと思う。 奥付にはまた、「記念特価金三十五銭」の印影が。 定価は七十銭となっているから丁度半額、「特価」に恥じな

    活字に酔いつつ酒に酔う ―嗚呼ひとり酒の愉しみよ― - 書痴の廻廊
  • 伊藤公は本が好き ―維新政府随一の書痴― - 書痴の廻廊

    淫するほどに書物を好む輩を指して「書痴」という。書に痴れきった、なるほど納得の文字列だろう。 大隈重信は耳学問の人であり、自ら読書する習慣は薄いと、そういう噂が既に盛時から高かった。 まあ、 大隈の外務大臣たりし頃、尚ほ少年者の如き、精力充溢して、端然として、長く居るに堪へ得ず。つねに煙草を吹かしながら、立ちて大臣室中を徘徊す。 当時秘書官加藤高明の来りて報告を齎らすや、談少しく長きに渉る毎に大隈即ち立ちて、グルグルと室内散歩を始む。加藤即ち前を見、後を見、左右に振り向きつゝ、以て大臣に面して報告を畢る。(昭和二年『現代人物競べ』177頁) こういう一種極楽トンボ的な人間風景の持ち主が、一冊の書に視線を固定し、さても森厳な貌をつくろい、息を詰めての集中状態を持続する――そういう構図を思い描けるかどうかというと、これは困難としかいいようがない。 耳学問視されるのも、蓋し妥当であったろう。 (

    伊藤公は本が好き ―維新政府随一の書痴― - 書痴の廻廊
  • 不意の出逢いに疼く脳 ―帝都初のプラネタリウム― - 書痴の廻廊

    とんだ「拾い物」をしたことだ。 頁(ページ)と頁の合間から、このようなものが転(まろ)び出てきた。 「プラネタリウムで美しい星の世界」 「有楽町」 「帝都に出来た新名所」 「東日天文館」 諸余の単語を綜合するに、昭和十三年十一月三日、東京日日新聞会館内に開かれた、天文普及施設の広告とみて相違ない。「日初」の栄冠こそ大阪市立電気科学館に譲ったものの、東京初のプラネタリウムではあった。 オープンから僅か八年にして東京大空襲の惨に遭い、ナパーム弾に焼き尽くされて、再建不能を余儀なくされた悲劇的な経緯から、「幻のプラネタリウム」として今に至るも偲ぶ者が絶えないという。 裏面は時間割とライオン歯磨の宣伝となっているあたり、どういう層をメインターゲットに据えていたかがよくわかる。事実、東日天文館に啓発されて、斯道を征くと心に決めた天文学者は多いのだ。 これを挟んでいたの方にも、また特筆すべき謂れが

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  • ニューギニアの日本人 ―南洋興発株式会社苦闘録― - 書痴の廻廊

    大日帝国とニューギニア島の格的な接触は、どうも昭和六年に始まるらしい。 このとし、同島に開発権を保有していたドイツのとある拓殖会社が経営難に陥った。 すかさず権利を買い取ったのが、南洋興発株式会社だ。南方開発の大手たること、「海の満鉄」というその通称が何より雄弁に物語る。日で拓殖会社といえば、何にもまして満鉄のイメージが浮かぶこと、今も昔も変わらない。 彼らが主に活動したのは、モミ(Momi)・ナビレ(Nabire)・サルミ(Sarmi)の三地域。いずれも今ではインドネシアに吸収された、西ニューギニア北海岸沿いの地域であった。 この三ヶ所に、ぜんぶで四十人前後の社員を派遣し、その四十人が二千人余のパプア人を雇用して、農場経営に精を出したということだ。 黄禍論に取り憑かれたオランダ政庁の圧迫に耐えつつ、彼らは実によくやった。倦まず弛まず努力を続け、わけても木綿栽培とダマール樹脂の採集に

    ニューギニアの日本人 ―南洋興発株式会社苦闘録― - 書痴の廻廊
  • 失われたトコベイ人形 ―在りし日の南洋土産について― - 書痴の廻廊

    トコベイ人形を初めて見たとき、私はとっさにシュメール人を想起した。 (トコベイ人形) (Wikipediaより、シュメール人礼拝者の像) 思いきって眼が大きく、何を考えているかわからない、無性に不安を掻き立てさせる漆黒が瞳の奥に蟠っているあたり、よく似ていると今でも思う。 が、シュメール人がそのほとんどオーパーツ的な高度文明を建設したのはユーラシア大陸のど真ん中、ティグリス・ユーフラテス川流域に対し、トコベイ人が棲息するのは西太平洋の波濤が洗う、小さな――まことに小さな、総面積1㎢未満の――珊瑚島に過ぎないのである。 両文明に交通(いきき)があろうはずがない。 偶然の一致に過ぎないだろう。 (Wikipediaより、トコベイ島北西部) この人形には、また面白い経緯(いきさつ)がある。 オリジナルがあったというのだ。 見上げるばかりの巨大さで、島民たちから御神体として祀られており、その霊威に

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  • 医者と世辞 ―吐きたくなくとも嘘を吐け― - 書痴の廻廊

    良医というのは、ときに詐欺漢の才能を必要とする。 宇佐美洋医学博士がそう悟ったのは、駆け出しのころ、己の不注意な一言で患者の命を縮めてしまった、その後悔が原因だ。 小林という、結核で入院している患者であった。 未だ三十代でありながら、病の進みはよほど重度で、まさしく膏盲に入るといってよく、彼の肺腑は酸素交換をほとんど停止し、脈もか細く、意識は既に朦朧として、賽の河原を歩みつつあるようだった。 この当時、結核は「死をもたらす暴君(Captain of the man of death)」と呼ばれ恐れられ、罹ったが最後、十中八九死なねばならない不治の病の印象がある。 そういう先入主も手伝ってだろう。枕頭に侍る奥方が、これまた病人のように蒼白い顔で宇佐美に訊いた。 「先生、どうでせうか。実は家が大阪でして、いけないやうなら家へ通知したいと思ひますが……」 と云ふ問いである。相当大きな話声で、勿論

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  • 医者のジンクス ―カラス・せっけん・反射鏡― - 書痴の廻廊

    「医者こそは誰にもまして『科学する心』を持たねばならぬ」 そう自戒しつつも、ついついゲンを担いでしまう。 出勤途中、妙にうるさくカラスが啼くと、 ――さてこそ、あの患者が死んだかな。 不吉な予感が頭を擡げ、そのあたりが沼に化(な)ったような心地がするし、ネクタイを変えた丁度その日に予想外の容態急変が起きたりすると、なんだかケチがついた気がして箪笥の奥にしまったっきり再び着ける意欲が失せる。 (アウグスト・フリードリヒ・シェンク 「苦悩」) むろん、これらの現象に因果関係がないことは重々承知。 承知してなお、論理で感情を統御しきれぬ未熟さが、宇佐美洋医学博士にも存在していた。 彼が勤める医院には、「反射鏡が割れると患者が死ぬ」とのジンクスが、まことしやかに囁かれていたそうである。 白衣の胸ポケットに反射鏡を入れてゐるのを忘れて、下に落ちたものを拾はうとした瞬間ガチャッ! とコンクリートの床の

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  • 人の内に潜むもの ―リアル雛見沢症候群― - 書痴の廻廊

    久方ぶりに医者の随筆を手に入れた。 昭和十七年刊行、宇佐美洋著『耳と鼻』なる一冊だ。 既に日米戦の火蓋は切られ、砲火も酣な時期であるのに、「聖戦」とか「共栄圏」とかいった単語がちらりとも顔を出さないあたり、貝田勝美の『研究室余燼』に酷似している。 記されているのはひたすらに、耳鼻科医としての自己の経験に関することのみ。敵性言語であるはずの英語の類も平気で使う。統制の極みに達しつつある当時にあって書の如きが刷られたことは、それだけでもう一種偉観とするに足る。 ――さて、そんな宇佐美先生の診た中に。 あたかも雛見沢症候群の末期状態を思わせる、途轍もない患者が存在していた。 「自分で扁桃腺をとった大学生」というのが、すなわちそれだ。 痩せ型で、度の強い眼鏡をかけている以外、とくにこれといって特筆すべき外見的特徴を持たない彼を一躍紙上の人とならしめたのは、喉奥に兆した些細な痒みこそに由る。 (…

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  • 焔の上に舞う鷙鳥 - 書痴の廻廊

    駄目だ。 なんというか、当に駄目だ。 花粉の野郎がいよいよ猛威をふるい始めた。 粘液の分泌が止まらないのだ。ティッシュペーパーの消費量は増すばかり。身体の内側、掻きたくても掻けない場所が痒いというのは人間性をガリガリ削り、自制も理性も餡を抜いた最中(もなか)よろしく空洞化して、人目も憚らずのたうち回りたくなる瞬間が、日に幾度となく去来する。 寝る前に限ってくしゃみが止まらなくなったり、鼻が詰まったりするのは何なのだろう。布団の繊維が、花粉を捉えて離さないででもいるのだろうか。なんと余計な真似をするのだ。 おまけに家の内外を問わずマスクを着けっぱなしにしていたがため、とうとう耳が痛みはじめた。 絵に描いたような踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂の姿であろう。 意識を集中、まとまった思索を営もうにもまるで砂を握るが如く端からボロボロ零れ出す。ここ数日来、とにかく私は駄目になってしまっているのだ。

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  • 金の亡者でなぜ悪い ―ゴールドラッシュにあてられて― - 書痴の廻廊

    「どうも、ちかごろの連中は」 カネの扱いが粗末でいかんと、楚人冠が吼えていた。 狭いガマ口に突っ込めるよう、屏風折りに折り畳まれた紙幣の数々。ごくありふれた生活上の創意工夫が、しかしこの偏屈漢には無性に癪に障ったらしい。一見些末に思えるが、こういうことからカネを軽んずる気風が生まれ、貯蓄を忘れて奢侈奔逸に流れるのだと、どんどん話を膨らませてゆく。 (Wikipediaより、がま口財布) なるほど確かに、古人のカネの取り扱いは丁重をきわめたものだった。 特に江戸期の小判に於いてはその傾向が顕著であって、綿に包んで桐箱に入れ、滅多に人目に触れぬよう、薄暗い場所に秘め置くこともあながち少なくなかったらしい。こうなるともう、カネを扱っているんだか御神体を祀っているのか、一寸判然としなくなる。 が、「根」の部分には割と切実な理由があった。 墨判を守るための措置なのである。 墨判とは、墨で以って貨幣の

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  • 豊穣なるラテン・アメリカ ―リマ宣言に至るまで― - 書痴の廻廊

    第二次世界大戦前夜、ラテン・アメリカは「争いのリンゴ」と目されていた。 列国を魅了した彼の地の価値は、すなわち厖大な糧及び天然資源。アドルフ・ヒトラーが 「我らはこの大陸に於いて、およそ必要なる総てのものを見出す」 と演説すれば、イギリス人はイギリス人で、 「パンパこそは、我々にとっての穀倉である」 と強弁して譲らない。 パンパとは、アルゼンチン中部に広がる草原地帯で、面積たるや535000㎢の馬鹿でかさ、土壌も肥沃で、同国の農牧業の中心を担う。イギリス人の卓は、確かにここの生産物に支えられた部分があった。 (パンパ平原の風景) 更にまた、19世紀初頭まで遡って論ずるならば、そもそも南米諸国が政治上の独立を克ち取れたのも、英国の強力な後押しがあったればこそでなかったか。 …当時英国首相カニングは其の政略上より南米の革命軍を援助し、ロンドン銀行家をして新政府の公債に応ぜしめ、コロンビア、

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  • 遥か南の稲作事情 ―ジャワ米にまつわる四方山話― - 書痴の廻廊

    ――外米でも、ジャワ米だけは別だ。 不味くないどころか頗る美味い。豊葦原瑞穂国の外側に、あんないいコメが存在するとは。イヤサまったく驚かされたと、そう述懐する南洋生活経験者は数多い。 ニャミル椰子園の和田民治もその一人だし、「南洋の貿易王」岡野繁蔵に至っては、更に傾斜を強くして、 ――国産品よりよっぽど美味い。 と、太鼓判を押してすらいる。 …ジャワ米の飯は、凡そこんな美味い米が世界のどこにあるだらうかと思ふほど、舌先に滴る甘味と柔かさを持ってゐた。 今日でも、外米がまづいといふことは、日人の常識のやうになってゐるが、あれは日へ輸送して来る途中、熱帯地方を通るので、船艙で米が蒸れるのと、防腐剤を混じてあるからで、その産地でべる外米はまづいどころか、却って内地米より遥に美味である。(昭和十七年『南洋の生活記録』6~7頁) (岡野繁蔵とその家族) ジャワ米。 今では専らジャバニカ米の名で

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  • 天国への直行便 ―エンプレス・オブ・ジャパン号の遭難― - 書痴の廻廊

    沈没する船の中。日人は笑顔で酒を酌み交わし、大いに埒を明けていた。 明治三十三年十一月五日の深夜、北緯五十度を上回る、冷え冷えとした北太平洋での一幕である。 船の名前はエンプレス・オブ・ジャパン号。ヴィクトリアの港から、日へ向けて太平洋航路を進むカナダ・メール社の豪華客船。それがふとした天意と人為――不運と不注意の重なりにより、洋上での衝突事故を起こしてしまい、事態は急変。その航程は、どうやら天国への直行便となりそうだった。 (なんということだ) この船には、日人も少なからず乗っている。 その中に、松波仁一郎の名もあった。 東京帝国大学教授、海軍大学教官にして海軍省の法律顧問を務める彼だ。洋上での衝突事故に関しては、並外れた知見を有する。 その知識が語るのだ、 (とても、助からぬ) と。 季節は既に冬近く、風の冷たさは骨を噛むという表現が、まったく誇張にあたらないほど酷烈である。海水

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  • 嗚呼みちのくに電波舞う ―東北ラジオ開局の歌― - 書痴の廻廊

    奥の細道ラヂオで拓け 四方の便りも居ながらに はやて来るよとラヂオの知らせ 着けよ船々鹽釜へ さあさ漕げ々々ラヂオで聴いた 沖は凪だよ大漁船 仙台局の放送開始を記念して、と『マイク放談』(昭和十年、国米藤吉著)には書いてあるから、おそらく昭和三年六月十六日のことだろう。この日こそは同市に置かれた日放送協会東北支部が電波発信を開始した、さても目出度き「ハレの日」だった。 (秋田県東由利の石沢峡) 祝福には歌が付き物である。 その原則は、この場合にも遺憾なく適応されたものだった。 九尺二間にアンテナ立てゝ 世には後れぬ心がけ 四海波風ラヂオを乗せて 処到らぬ隅もない さんさ時雨るるかや野の里も ほだの灯りにラヂオ聞く ラヂオたよりに苦労も解けて 待て居るぞい大漁船 (Wikipediaより、震災前の塩釜港) 東北六県草莽の士が詩心を尽して綴りあげたる句作の数々。日放送協会に「当選歌」と認め

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  • 実戦本意の弁論部 ―赤門を出た男たち― - 書痴の廻廊

    鶴見祐輔在籍当時の東京帝大弁論部では、屡々閑孤(かんこ)演説というのをやった。 字面が示すそのままに、極めて少人数を対象とした演説である。 しかしながら会場は普段同様、講堂を――ゆうに千人でも収容可能な広間を使う。 聴衆役は空間を贅沢に使用して、決してひとかたまりにはならず、ぽつりぽつりと点在するよう着座する。これは群集心理の発生を大いに妨げ、演者に窒息に等しい苦しみを与える。 このあたりの消息は、松波仁一郎に於いて詳しい。鶴見と同じく「官吏畑」と通称された東京帝大法科大学出身で、やはり弁論部に属し、部長としての経歴すら持つ彼の著書から引用しよう。 数千数百の聴衆満堂溢るる時の演説も六ヶ敷いが、而も心に張りを生ずるから思ふよりも容易だ、群がる大衆を前に意気軒高、闘志盛んに湧出するから、弁自ら生気を潮来し弁舌は自然滔々となる。然るに之に反し数千の大衆を入るる大会堂、聴く者僅かに十人といふとき

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  • 夢路紀行抄 ―原始的な精密機械― - 書痴の廻廊

    夢を見た。 電子回路の夢である。 遮光カーテンを閉め切った部屋、薄ぼんやりとした光源。洞窟を思わせる湿った空気を吸いながら、私はただもうひたすらに、めちゃくちゃな桁数の四則演算に取り組んでいた。 道具は鉛筆と藁半紙、それと自分の頭のみ。原理はまったく不明だが、スーパーコンピューターの能力を高めるためには絶対不可欠の作業らしい。 部屋には私以外にも、同様の作業に従事する者が何人もいた。どれもこれも、まるで見覚えのない顔である。みなこぞって表情を消し、無駄口どころか咳払い一つこぼすことなく、せっせと鉛筆を動かし続ける。その有り様は、部屋の雰囲気とも相俟って、どこか魚の群れに似ていた。 斯く言う私自身とて、端から見れば立派な「魚」であったろう。ノルマをこなし、仕上がった答案を問題のスパコンに読み込ませにゆく。部屋の片隅に置かれたソレは、どう見てもウォーターサーバー以外のなにものでも有り得なかった

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  • 練習帆船おしょろ丸の奇禍 ―拿捕され続ける日本船― - 書痴の廻廊

    昭和十二年八月某日、オホーツクの沖合で、一隻の日漁船が拿捕された。 船は二代目おしょろ丸。函館高等水産学校の練習帆船として十年前に竣工されたものであり、その日も同校の生徒二十名を甲板に乗せ、蟹刺網の操業実習を行っているところであった。 (練習帆船おしょろ丸) 当然、武装など皆無そのもの。機関室の床をひっぺがしても、拳銃一つ出て来はすまい。 だから、突如出現したソヴィエトロシアの特務艦、オロスコイ号に猟犬の如く周囲を旋回されても。 それが不当な威嚇行為と重々承知しながらも、彼らはただ息を殺して事態が過ぎ去るのを待つしかなかった。 が、無力な者の祈りというのは、ほとんど踏み躙られるためにのみ存在している観すらあろう。 この場合も、そうだった。オロスコイ号はやがて威嚇に飽き足らなくなり、直接牙を突き立てるべく、おしょろ丸に飛びかかって来た。 端艇が下された。弾を充填したピストルを持った露助に取

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  • 漁師たちの暇潰し ―ハコフグ製のタバコ入れ― - 書痴の廻廊

    人間とは悲しいまでに文化的ないきものである。 無聊に対する慰めなくして、三日と生きれるものでない。 明治三十七・八年、満洲の曠野に展開し、ロシア軍と血で血を洗う激闘を繰り広げていた日陸軍にあってさえ、ときおり歌舞伎の興行をやり退屈を紛らわしていたものだ。 (Wikipediaより、奉天会戦後の日軍第一師団) 内地から職(プロ)を呼び寄せたのでは、むろんない。 役者・演出・道具立てに至るまで、すべて兵たちの自弁であった。女形さえ蓬髪垢面の仲間内から選出している。素人芸もいいところ、ひとつとして稚拙ならざるはなかったが、それでも毎回大喝采を浴びたというから如何に精神が渇いていたか窺えよう。 ひどいのになると、同僚の墓の絵を描いて、しかもそれを人に見せつけ、嫌な顔をされて喜ぶ変態じみた野郎までいた。 おまけにそれが娑婆っ気の抜けない新兵ではなく、既に銃火の洗礼を受け、敵味方の死体の山を乗

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  • 滄海を征く ―「地洋丸」の岡本信男― - 書痴の廻廊

    船員法の話をしたい。 在りし日の第十二条は、こんな文面であったという。 船舶ニ急迫ノ危険アルトキハ船長ハ人命、船舶、又積荷ノ保護ニ必要ナル手段ヲ尽シ且旅客、海員其他船中ニ在ル者ヲ去ラシメタル後ニアラザレバ其ノ指揮スル船舶ヲ去ルコトヲ得ズ。 不慮の事故か何かによって沈没の危機が突発しようと、船長たるもの、持ち場を放棄することなかれ。 事態収拾のため力を尽くし、文字通り「最後の一人」となるまでは、決して船を離れるな。 その結果、たとえ「船と運命を共にする」展開になろうと従容として受け入れよ。――噛み砕いて言えばこんな具合か。 血気盛んな若者にとってこういう文句は、萎縮どころか却って滝に打たれるような戦慄を惹起し、心気を昂揚させること、大なる効果があるようだ。『北洋鮭鱒』や『日漁業通史』、『水産人物百年史』等を世に著して、日人の海に対する興味増進に一役買った岡信男も駆け出しのころこれを読み

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