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ブックマーク / massneko.hatenablog.com (44)

  • 「日本のたてもの~自然素材を活かす伝統の技と知恵」展 @東京国立博物館・上野 - 墳丘からの眺め

    年始に訪ねた「日のたてもの展」、東博会場は表慶館。 企画展となっていて、一般1500円かかります。 建築模型や資料によって「自然素材を活かした日の伝統建築の造形的特徴を古代から現代建築まで通史的に俯瞰する」という試みで、上野の博物館3館(東京国立博物館・国立科学博物館・国立近現代建築博物館)での共同開催。 東博では「古代から近世、日建築の成り立ち」がテーマ。エントランスホールにて、3つの塔の模型に迎え入れられた。 左から一乗寺三重塔、法隆寺五重塔、石山寺多宝塔。いずれも10分の1サイズ。 法隆寺五重塔は2015年に、生涯3度目の訪問をした。 多宝塔は2層目の円形が美しい。 こちらは2014年に訪ねた。 以下に展示模型の一部をピックアップ。 奈良県橿原市今井町の今西家住宅。模型は国立歴史民俗博物館所蔵のものが多かったが、ほとんどが中央で二つに分割され、内部構造がわかるようになっていた。

    「日本のたてもの~自然素材を活かす伝統の技と知恵」展 @東京国立博物館・上野 - 墳丘からの眺め
  • 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中 - 墳丘からの眺め

    鹿島神宮駅に戻ると、駅前広場の案内板に気づいた。 よくみると、夫婦塚古墳だけでなく、千年塚も、稲荷塚古墳も、天狗党の墓も! 鳥居のような赤枠の解説板は、この「神の道」の散策ルートの案内だった。 駅から鹿島神宮へは南側の台地を上る。徒歩10分の距離。 門前の町並みを抜けて大鳥居前へ。 出店はあったが、2020年の年末で人はまばら。 入ってすぐに重文の楼門。日三大楼門のひとつだそう。 そのすぐ先の参道右側に社殿がある。少し並んで参拝。 参拝後に振り返って。拝殿の後ろに殿。こちらも重文建物。 殿・石の間・幣殿・拝殿の4棟からなる社殿は、元和5年(1619)に二代将軍徳川秀忠が寄進したものだそう。 境内案内 | 鹿島神宮 その先の奥参道。杉並木が神々しい。 この先に鹿園や奥宮、要石がある。 7年前に参拝しました。 今回は拝殿から参道を挟んだ向かいにある仮殿にも参拝。こちらも重文。 先の境内案

    鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中 - 墳丘からの眺め
  • 原爆の図丸木美術館 埼玉県東松山市下唐子 - 墳丘からの眺め

    冑塚古墳の北側の小径に、丸木美術館へ800mとの表示板があったので立ち寄った。 畑や民家、乗馬クラブや資材置き場が展開するエリアの川沿いに、大きな建物がある。 公共交通機関利用の場合は、東武東上線の「つきのわ駅」から徒歩30分。東松山駅から一日6便のバス(日祝除く)を利用するとバス停から徒歩15分。 1980年代半ばに、一度訪ねたことがあったはずで、かなり遠出した記憶が残っていた。 入館料は一般900円。複数の展示室のある、規模の大きな美術館だった。 4曲1双の屏風絵・原爆の図(1950年の作)を目の当たりにして背筋が粟立った。 地獄を描いた絵はこれまで結構目にしてきたと思いますが、これほど真に迫るものは他にないのではないでしょうか。 このときは企画展「内田あぐり VOICES いくつもの聲」も開催されていました(2021年1月24日まで) 敷地には美術館建物以外にも、お堂や石碑、アトリエ

    原爆の図丸木美術館 埼玉県東松山市下唐子 - 墳丘からの眺め
  • 国立ベルリン・エジプト博物館所蔵 古代エジプト展~天地創造の神話~ @江戸東京博物館・両国 - 墳丘からの眺め

    今回は、昨年12月に訪ねた「古代エジプト展」の紹介を。 江戸東京博物館・企画展示室前の記念撮影用パネル。 入口の様子。 実は12月7日、エジプト展に合わせて開催された神田伯山独演会のチケットがとれたのでした。初めて神田伯山(エジプト展オフィシャルサポーター)の講談を、というか講談自体を初めて聴きましたが最高でした。すっかりファンになりました。 エジプト展の出口のところに当日のパネル写真なども展示されていました。 後日訪ねた展示室。(講談イベント当日は休館でした) 出展数は約130点、内100点以上が日初公開となるそうです。 なんと作品の撮影可。 特にインパクトを感じた作品をいくつか。 高さ1mほどの「ハトシェプスト女王の胸像」(前1479~前1458年頃) 横から。元はスフィンクスの姿をしていたそうです。 非常にリアルな、そして美しい「ネフェルトイティ(ネフェルティティ)王妃あるいは王女

    国立ベルリン・エジプト博物館所蔵 古代エジプト展~天地創造の神話~ @江戸東京博物館・両国 - 墳丘からの眺め
  • 友山・武香ミュージアム  埼玉県熊谷市冑山 - 墳丘からの眺め

    甲山古墳のすぐ近くに、友山・武香ミュージアムというピンが立っていたので訪ねてみました。 恥ずかしながら、現代陶芸ギャラリーのようなイメージを勝手に想像していましたが、全くの見当違い。 江戸から続く豪農屋敷の長屋門で、幕末から明治にかけて活躍した地元の名士、根岸友山(ゆうざん:1809~1890)・根岸武香(たけか:1839~1902)父子の資料館でした。 建物部分の全長は24m。 門の高さもしっかりと。 熊谷市の解説板もあった。江戸後期の築。 市指定文化財建造物 根岸家長屋門 指定日 昭和54年5月 所有者 根岸友憲 根岸家:根岸家は、江戸時代中期以降、甲山村、箕輪村の名主を務め、約80町歩以上の土地を所有する豪農でした。 ・長屋門(構造) 根岸家長屋門の構造は、入母屋造りの瓦葺きで壁材は土壁です。外壁は下部の腰壁部分が板張り、それより上部は漆喰仕上げで、門部分は壁面より後退し、右側に潜り

    友山・武香ミュージアム  埼玉県熊谷市冑山 - 墳丘からの眺め
  • 東大寺大仏殿・南大門 奈良県奈良市雑司町 - 墳丘からの眺め

    前回のつづきの東大寺。大仏殿エリアは行列ができていました。 5分ほど並んでチケット(拝観料一般600円)を購入し、回廊の中へ。 木造軸組建築としては今でも世界最大です。 大仏の大部分も、大仏殿も後世の再建ですが、国宝の八角燈籠は天平期のオリジナル(羽目板の一部はレプリカのようですが) 石段を上がって大仏に参拝。 大仏の台座蓮弁、”オリジナル部分のレプリカ(?)”が見やすい場所に展示されていました。 今の時代にあっても、圧倒的な大きさです。 光背も巨大。 中門前から振り返って。 南大門へも行ってみました。日最大の山門。 運慶・快慶による仁王像(金剛力士像)が、参詣者に睨みを利かせます。 阿吽の、吽形像。 高さ8.4m、1203年に南大門再建とともに築造されました。 振り返ると、阿形像。 ズームで。 が、真下から見上げて拝観するように作られているですね。 寄木造りで、一体に約3000ものパー

    東大寺大仏殿・南大門 奈良県奈良市雑司町 - 墳丘からの眺め
  • 近つ飛鳥博物館 大阪府南河内郡河南町大字東山 - 墳丘からの眺め

    「近つ飛鳥博物館」は今回の旅の、ひとつの目的地。 入館料は大人310円。 展示品紹介- 近つ飛鳥博物館 近つ(ちかつ)飛鳥は大阪府羽曳野市飛鳥あたりの古事記にも記載のある地名で、反正天皇が難波から大和の石上神宮に参向する途中で二泊した際その地を名付けるに、近い方を「近つ飛鳥」、遠い方(奈良の明日香村飛鳥)を「遠つ飛鳥」と名付けたのだそう。 博物館は予想していたより大きく、興味深い展示品や模型が盛り沢山。 こちらは、同じ河南町(かなんちょう)内で、ここから4kmほど南にある金山(かなやま)古墳の石棺レプリカ。 金山古墳は非常に珍しい双円墳。次の機会に訪ねたい。 金山古墳 倭の五王の時代、5世紀に朝鮮半島、中国大陸からもたらされた多くの技術文化は日列島流にそしゃくされ、6世紀に様々なかたちとなって結実し普及していく。その一つに横穴式石室がある。そしてその中に家形石棺がある。河南町・金山古墳

    近つ飛鳥博物館 大阪府南河内郡河南町大字東山 - 墳丘からの眺め
  • 多胡碑・多胡碑記念館(上野三碑) 群馬県高崎市吉井町池 - 墳丘からの眺め

    多胡碑は吉井石碑の里公園内にあり、多胡碑記念館を擁する。 20台ほど停められる駐車場の脇の林が見事に紅葉していた。 その林の中に、多胡碑を納めた覆い屋がある。 ここも窓から覗いて見学。 山上碑や金井沢碑と比べて一字一字が大きく、石碑の高さも20㎝近く上回る。 記念館内にあった拓(の複製) 現地の説明板。多胡碑は日三碑にも数えられる。 特別史跡 多胡碑 多胡碑は、栃木県にある那須国造碑、宮城県にある多賀城碑とともに日三碑と呼ばれている古代の石碑である。また高崎市の山ノ上碑、金井沢碑とともに上野(こうずけ)三碑とも呼ばれる。 碑の高さは129㎝で、吉井町南部に産出する硬質の牛伏砂岩(通称多胡石)で造られている。 その書体は楷書体で中国の六朝風を遺すいわれており、古くより多くの書家に愛好され、6行80字の文字の彫りも味わいあるものとして評価されている。 土地の人は多胡碑を「ひつじさま」と呼

    多胡碑・多胡碑記念館(上野三碑) 群馬県高崎市吉井町池 - 墳丘からの眺め
  • 八坂の塔~清水寺 京都府京都市東山区 - 墳丘からの眺め

    祇園閣からは「ねねの道」を南にゆっくりそぞろ歩き(家族タイム) 途中で団子と抹茶をいただいたりしながら。 石塀小路を覗いたところ。 歩いて通り抜けましたが、いたるところに撮影禁止の札が貼ってありました。以前は歩けないほどの観光客だったのでしょう。 高台寺南門通りを右折して、下河原通りへ入り、八坂の塔の下へ。 そこから振り返った西方向。着物の方が結構おられて華やかな雰囲気でした。 八坂の塔の方、八坂通りを進みます。 途中で左手に二年坂。先ほどの「ねねの道」を直進すると、一年坂~二年坂を経てここに合流します(そちらの方が近道) 三年坂(産寧坂)を上がると階段に。 土産物屋が並ぶ清水坂を登っていくと清水寺。 仁王門から振り返って。 その先で拝観料を納めて舞台へ進むと、大掛かりな工事の最中でした。 奥の院は回ると、舞台の様子がわかりました。懸造(かけづくり)の構造は見えませんでしたが… こちらのサ

    八坂の塔~清水寺 京都府京都市東山区 - 墳丘からの眺め
  • 祇園閣(遠望) 京都府京都市東山区祇園町 - 墳丘からの眺め

    京セラ美術館からはタクシーを利用して6分程で八坂神社へ参拝。 茅の輪もくぐりました。 右の社殿は、旅行から帰った直後に国宝指定されるというニュースがありました。 拝殿のすぐ前には舞殿があるので、正面からは写真に収めにくいのですが(と言い訳を) 八坂神社建物は、大屋根で拝殿と殿が覆う「祇園造」と呼ばれる特殊な様式なのだそうです。 11月中は殿内特別参拝ができるとのこと(初穂料大人1000円) 殿特別拝観参拝のご案内 | 八坂神社 八坂神社の南楼門を出て、80mほど先を東の小径に入ると、祇園閣があります。 祇園祭の山鉾を模した塔建築。設計は築地願寺を手掛けた伊東忠太、竣工は昭和2年。 2018年に六木の森美術館で開催されていた「建築の日展」で20分の1模型の展示とともに紹介されていて、一度実物を見てみたいと思っていた。 六木ヒルズ・森美術館15周年記念展 建築の日展:その遺伝子

    祇園閣(遠望) 京都府京都市東山区祇園町 - 墳丘からの眺め
  • 東寺(教王護国寺) 京都府京都市南区九条町 - 墳丘からの眺め

    前回の恵解山古墳見学後は、北へ30分ほど運転して京都市内へ。 東寺の門がまだ開いていたので拝観した(午後5時閉門、入場は4時半まで) https://toji.or.jp/admission/ 五重塔は高さ約55m。日で最も高い木造建築。 現在の塔は、寛永21年(1644)に再建した5代目。初代は平安初期に空海が建立。 相輪をズームで。 その大きさに圧倒されます。国宝です。 8月に見た瑠璃光寺が31.2mなので、その1.7倍の高さになる。 東寺といえば、 やはり講堂の立体曼荼羅。仏像ファン憧れの空間。 講堂の南側にある金堂は、慶長8年(1603)築で、こちらも国宝。 南側正面から。重なる軒、入り組んだ軒下、その上に載る瓦。 垂木の列は逆さにしたピアノの鍵盤(エレクトーンか)にようにも。 堂内の大空間に安置されるのは薬師三尊像(慶長8年・康正 作)のみ。 魅了されました。 金堂|境内のご

    東寺(教王護国寺) 京都府京都市南区九条町 - 墳丘からの眺め
  • アサヒビール大山崎山荘美術館 京都府乙訓郡大山崎町銭原 - 墳丘からの眺め

    今城塚古墳見学後は高槻市内のロイヤルホストで昼をべ(満席で並びました)、北東に9㎞移動して京都府に入ってすぐにある、アサヒビール大山崎山荘美術館を訪ねた。 JR京都線の山崎駅近くの駐車場に車を停めて、踏切を渡り、なかなか急な坂を登る(駅から無料送迎バスもある) 踏切を振り返ったところ。 坂下に掲げられていた絵図。ここは、天下分け目の天王山になる。 天正10年(1582)能寺の変の後、備中高松城攻めから戻った羽柴秀吉軍と、明智光秀軍とが、この山の麓と淀川との間の狭い地域(摂津国と山城国との境)で激突し、秀吉が勝利した。 道路の途中の山側に、歴史街道ハイキングコースの案内板があった。 左上の天王山山頂の項には下記の説明が。 「山崎の合戦」に勝利した秀吉は、山頂に天守閣を備えた山崎城を築き、大山崎を城下町としました。 この地で天下統一の第一歩をしるした秀吉は、翌年のしづか岳の合戦にも当地から

    アサヒビール大山崎山荘美術館 京都府乙訓郡大山崎町銭原 - 墳丘からの眺め
  • カフェギャラリー高澤記念館 埼玉県行田市長野 - 墳丘からの眺め

    9月最後の日曜日、さきたま史跡の博物館で開催中の「盾持人埴輪の世界」展(2020年11月23日まで)を見に行った。 電車とバスを利用。 アクセス - 埼玉県立さきたま史跡の博物館 高崎線の吹上駅前で停車中の朝日バスの「行田折り返し場」行に乗ったものの、経由地が異なる路線だったようで、さきたま古墳公園に近づかない。乗りながらスマホマップを見ていると、古墳公園を中心とした円周上を回っていく様子。忍城の前を過ぎて、桜町という所で降車。さきたま古墳群の北端の神明山古墳まで徒歩25分と出た水路沿いの道を歩き始めた。 その途中にあった駐車場の「高澤記念館」という看板が気になったので立ち寄ってみた。 入口の方へまわると立派な長屋門があった。 その手前にあった国登録有形文化財の説明板。 左のカフェギャラリーの案内には、OPENは金・土・日の11時~17時とある。 国登録有形文化財 高澤家住宅主屋・離れ・土

    カフェギャラリー高澤記念館 埼玉県行田市長野 - 墳丘からの眺め
  • 古市・金谷白壁の町並み 山口県柳井市柳井津 - 墳丘からの眺め

    柳井茶臼塚古墳からよく見えていた柳井市街。 その一画に「白壁の町並み 」という気になるポイントがあったので行ってみた。古墳から2㎞ほど西。 柳井川のそば、200mほどの通りが江戸時代の面影を残していた。 通りの入口の地図。 解説板もあった。 柳井市古市金屋伝統的建造物保存地区 選定日:昭和59年12月10日 面積:1.78ha 柳井津は瀬戸内海の舟運を利した市場町として形成されました。この町が中世に栄えていたことは、慶長6年(1601)吉川広家が岩国の城下町建設に際して、柳井の有力商人を移住させて、柳井町を設けたことによってもわかります。 柳井津町の敷地割は、他の町と同様、間口は狭く奥行が深く、敷地境には石積の水路が北から南へ設置され、道路を横断して直接柳井川へ排水されています。 保存地区は、柳井津でもっとも早くから開かれた旧町の西半分にあたる古市金谷地区で、東西方向に通じる町通の両側約

    古市・金谷白壁の町並み 山口県柳井市柳井津 - 墳丘からの眺め
  • 名勝 錦帯橋 山口県岩国市岩国 - 墳丘からの眺め

    防府観光の後は宇部へ一旦戻ったが、翌日に柳井の古墳を訪ねる予定を立てていたので宿を岩国の錦帯橋のそばにとっていた。 着いた時には日は沈んでいたが、ライトアップされた木造橋に圧倒された。 夜景はiphone11で。 中央に高さのある三連アーチがあり、その両脇に支えの付いたアプローチが連なる。 木造構造物の極致では。 解説板があった。長さは200mほど。 名勝 錦帯橋 名勝指定年月日 大正11年3月8日 昭和18年8月24日追加指定 世界に誇る名勝錦帯橋は延宝元年(1673)、第三代岩国藩主吉川広嘉によって創建されました。それまでの橋は、錦川の洪水のたびに流されていましたが、広嘉の斬新な発想と藩の技術者のたゆまぬ努力によって現在の橋の形が作り出されました。長年美しい姿を誇っていましたが、昭和25年9月、当地方を襲ったキジア台風により惜しくも流失しました。その後、昭和28年1月に再建されました。

    名勝 錦帯橋 山口県岩国市岩国 - 墳丘からの眺め
  • 瑠璃光寺 山口県山口市木町 - 墳丘からの眺め

    美術館の後は、美しい五重塔で名高い、国宝・瑠璃光寺を訪ねた。 説明板は堂のそばにある。 国宝 国指定建造物 瑠璃光寺五重塔 明治36年4月15日指定 所在地 山口県香山町7番1号 この塔は、嘉吉2年(1442)に建立されたもので、室町時代中期におけるすぐれた建築の一つであるとともに大内氏隆盛時の文化を示す遺構として意義深いものである。 高さは31.2mで桧皮葺独特の軽快さを見せており、軒の出は深くなっている。塔の身部は上層にゆくにつれて思い切って間をつめているので、 塔の胴部が細く見えてすっきりした感じである。これに対して初重の丈が高く、柱が太く二重目には縁勾欄があるので安定感が強い。鎌倉時代から和様、禅宗様、大仏様建築様式が行われているが、この塔は、大体和様を主体としていて、わずか一部に禅宗様の手法が見られる。室町時代のものとしては、装飾の少ない雄健なものである。この塔は大内義弘の菩提

    瑠璃光寺 山口県山口市木町 - 墳丘からの眺め
  • 常栄寺・雪舟庭 山口県山口市宮野下 - 墳丘からの眺め

    秋芳洞見学後は、車で35分ほどの山口市中心街へ。 急な土砂降りで、予定していた県立美術館は翌日に繰り越し、宇部に戻ろうとしたら急に晴れたので、常栄寺(じょうえいじ)に参拝した。 門前の駐車場に停めて。土砂降りの後だったせいか、参拝者は自分たちだけだった。 雪舟が作ったと言われる庭を見に。 国指定史跡・名勝 常栄寺 雪舟庭 文明年間(1469~1486)大内政弘が雪舟に依頼して築造したといわれる池泉回遊式庭園です。 門前に雪舟の胸像が。 山門をくぐると正面に堂。右の鐘楼門から中へ。拝観料は300円。 堂に上がると、雲谷派による群馬図屏風。 堂の仏間。 脇には山水図屏風も。 堂南面の庭は重森三玲の手になる。昭和43年、72歳での作。 常栄寺二十世の安田天山老師が「雪舟より良い庭を作られては困る。恥をかくような下手な庭を作ってもらいたい」と依頼、重森は固辞したが「上手に下手な庭を作っても

    常栄寺・雪舟庭 山口県山口市宮野下 - 墳丘からの眺め
  • 番所の坂・酢屋の坂・志保屋の坂 大分県杵築市大字杵築 - 墳丘からの眺め

    前回の宇佐神宮参拝後は、国東半島の首元を日豊線と並行しながら横断する国道10号を通り抜けて、宿をとっていた杵築へ向かった。車で45分ほどの距離。 まだ明るかったので、ホテルいな里に荷物と車を置いて散策開始。 城下町杵築は溝井川・八坂川の河口の間で標高20mほど丘の上に築かれているが、東西に伸びる谷間のメインストリートによって南北2つの丘に分かれており、坂の多い魅力的な街だった。 北側の丘裾のホテル側から、まず番所の坂を上がる。 緩い傾斜の歩きやすい坂だった。途中に木戸がある。 その先で、北側の丘の稜線を超える。 稜線に沿って、武家屋敷が続く。舗装はあるものの、江戸期の風情。 そのすぐ先、石畳の下りは酢屋の坂。 坂の脇にあった説明板。 日唯一のサンドイッチ型城下町 江戸時代の町並みがそのまま残る城下町杵築。 杵築城を中心として、南北の高台に勇壮な武家屋敷が、谷間の商人の町を挟んだ「サンド

    番所の坂・酢屋の坂・志保屋の坂 大分県杵築市大字杵築 - 墳丘からの眺め
  • 百済寺 滋賀県東近江市百済寺町 - 墳丘からの眺め

    勝堂古墳群見学後は、北西5㎞の神郷亀塚古墳へ行くつもりだったが、少し時間があったので南東に5㎞の百済寺(ひゃくさいじ)も参拝した。 依智秦氏の里古墳公園(金剛野古墳群)からだと3kmほどの距離。 お寺の由緒を見ると、秦氏、そして聖徳太子を通じて、祖先を祀る場が古墳から寺院へと移って行ったことが想像された。 近江最古の仏教寺院で、創建は飛鳥時代の推古14年(606) 聖徳太子の勅願によって開かれ、創建当時は日に仏教を伝来した渡来僧や先進的な文化技術を伝えた渡来系氏族の氏寺として発達したとのこと。 平安期に天台宗となり、戦国時代には信長の焼討にもあったが江戸期に再興している。 http://www.hyakusaiji.jp/about/ 寺の駐車場までは比高差100mほどの登り道。途中に一、きれいな紅葉があった。 拝観料600円を納めて境内へ。 坊の後ろには池泉廻遊式の庭園。 庭園背

    百済寺 滋賀県東近江市百済寺町 - 墳丘からの眺め
  • 近江鉄道 武佐駅~八坂神社 滋賀県近江八幡市友定町 - 墳丘からの眺め

    東近江市による雪野山古墳ツアーの翌日は、車を借りて近辺の古墳巡り。 予約したレンタカー店は近江八幡駅から少し離れていて送迎もあるのですが、近江鉄道に乗ってみました。 JRホームに平行する近江鉄道のホームで。 改札係りの方がおられます。 8:21発の米原行きに乗りました。 ちなみに近江鉄道で米原まで行くと66分。JRで新快速に乗れば20分ですが、いい鉄道旅ができそうです。 車止めがある側の様子。 武佐駅まで1駅乗車。 乗った電車をお見送り。 初めて乗った近江鉄道。知らなった駅名を目にするのは楽しいです。 武佐は中山道の宿場でした。 鈴鹿山脈の八風峠へ向かう八風街道の起点でもあります。 駅の外観は小さいながらも気品あり。 駅前の道が、いきなり旧中山道でした。 前日にも沢山見た「飛び出し坊や」 女の子バージョンも。 微妙な曲がり具合や道幅に、昔日の面影が。 陣も。 隣家が無くなって、構造があら

    近江鉄道 武佐駅~八坂神社 滋賀県近江八幡市友定町 - 墳丘からの眺め