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ITMBASEさんpostに関するscene-no-mottainai-blogのブックマーク (5)

  • ポルトガル旅行記2019 ポルト観光~その3 ドン・ルイス1世橋とか - 空へ!!

    ドン・ルイス1世橋 ポルトのメトロ サンベントからメトロD線で1駅乗るとドン・ルイス1世橋の橋の上を走ることになります。 橋は2階建てになっていて、2階はメトロと歩行者専用になっています。そして1階は自動車と歩行者が渡れるようになっています。 私は高所恐怖症で橋の2階を歩いて渡ることは到底できませんのでメトロで渡ります。 電車の窓から橋の上を渡る様子。 歩いて渡っている人も結構いました。 セラ・ド・ピラール修道院の展望台 橋を渡った先のJardim do Morro駅の目の前の坂を上るとセラ・ド・ピラール修道院があり、その一部が観光客にも開放されています。 ここから見たドン・ルイス1世橋の写真がこちら。 見事な景色ですが、足がすくんでしまいます。 修道院を降りてモーロ庭園から撮った写真がこちらです。 ドン・ルイス1世橋は、1886年に開通したそうで、開通式にはポルトガル国王も出席されたそう

    ポルトガル旅行記2019 ポルト観光~その3 ドン・ルイス1世橋とか - 空へ!!
  • ポルトガル旅行記2019 ポルト観光~その2 フランセジーニャを食べた - 空へ!!

    ポルト発祥B級グルメフランセジーニャ Cafe Santiago ちょっと早いお昼はサントイルデフォン教会からすぐ近くのカフェ サンティアゴ。 フランセジーニャの有名なお店です。 ポルトガルの料理はオリーブオイルとニンニクと塩といったシンプルな味付けの印象ですが、このフランセジーニャは濃厚でいかにも健康に悪そうなジャンクな味付けです。 ポルト発祥のB級グルメでポルトに行ったらぜひべてみたいと思っていた料理です。 お店はこちら。 11時半に入店した時はガラガラでしたが、12時にはほぼ満員になっていました。 メニューはこんな感じです。 フランセジーニャは€9.75で目玉焼き付。 €1.0で半分ずつ(目玉焼きは1個ずつ)にシェアできます。ボリュームがすごいとの評判でしたので、半分ずつシェアしました。 フランセジーニャはこちら 運ばれてきたフランセジーニャがこちらです。 半人前?でもこのボリュー

    ポルトガル旅行記2019 ポルト観光~その2 フランセジーニャを食べた - 空へ!!
  • ポルトガル旅行記2019 ポルト観光~その1 APに乗ってポルトへ - 空へ!!

    リスボン国鉄APでポルト日帰り旅行 ポルトへはサンタアポローニャ駅から 前に記事にしましたが、ポルト行の国鉄特急AP(アルファ)は日でWEBで購入済みです。 itmbase.hatenablog.jp サンタアポローニャ駅まではメトロブルーラインでレスタウラドーレス駅から行きます。電車に乗っている時間はグーグル調べで6分。但し、メトロが何時に来るか、サンタアポローニャ駅の乗換にどれくらい時間がかかるかはわかりません。 昨夜、夜中にがばっと目が覚めました。 どうやらサンタアポローニャ駅で乗り遅れた夢を見ていたようです。夜中にネットを立ち上げサンタアポローニャ駅の乗換方法を調べてみますが、あまり記事は出てきません。但しそんなに時間はかからないような記事を目にしました。 朝は7時から。8時始発のAPに乗る為に、朝べて7時20分にホテルを出ることに決めました。 レスラウラドーレス駅には7

    ポルトガル旅行記2019 ポルト観光~その1 APに乗ってポルトへ - 空へ!!
  • 住吉大社へお宮参り - 空へ!!

    住吉神社の総山 すみよっさん なんばから南海線各駅停車で5つめに住吉大社駅が有ります。住吉大社正門までは駅から徒歩ですぐです。摂津の国「一之宮」として崇められてきました。日全国に約2,300あると言われる住吉神社の総山です。 大阪人は住吉大社のことを「すみよっさん」と親しみをこめて呼んでいます。初詣は3が日で230万人以上の参拝客を集めます。この数は日第7位ですが、関西では伏見稲荷退社に次いで第2位、大阪では圧倒的に第1位の参拝客数となっています。 神様の由緒 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、火神の出産で亡くなられた伊邪那美命(いざなみのみこと)を連れ戻そうと黄泉の国に行きますが、願いは達せられず、ケガレを受けてしまいます。そのケガレを清める為に海に入って禊払いをした時に住吉大神である底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみ

    住吉大社へお宮参り - 空へ!!
  • 大正昭和のモダニズム 大大阪時代の香りを探して中之島船場散策~番外編 - 空へ!!

    緒方洪庵旧宅(適塾) 大阪大学の源流 今日は、大正昭和を遡り、幕末から明治にかけてのお話です。 1838年(天保9)から1862年(文政2)まで、蘭学者であった緒方洪庵はここ船場の地に塾を開き、適塾として若い人たちの教育に多大な精力を注ぎました。 洪庵が不在の時でも義弟や子息、門下生らが塾を守り、さらに分塾して発展していきました。そんな塾生には福沢諭吉、大鳥圭介、橋左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲などがいました。 幕末には日中に蘭学塾が開かれていましたが、適塾もその一つでした。 下の写真は緒方洪庵旧宅(適塾)の正面です。 明治時代になると教育制度の改正とともに、適塾は発展的解消となり、大阪医学校、府立医科大学、さらには大阪大学へと発展し、現在に至っています。 緒方洪庵の功績 緒方洪庵は幕末の蘭方医として、また蘭学の第一人者と仰がれました。 緒方洪庵が書いた蘭学の書物(複製

    大正昭和のモダニズム 大大阪時代の香りを探して中之島船場散策~番外編 - 空へ!!
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