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新聞誌に関するschriftのブックマーク (2)

  • 新聞の父:ジョセフ彦

    浜田彦蔵(はまだ・ひこぞう) ジョセフ彦って知っていますか? ジョセフ彦(1837年―1897年)は、日で初めて新聞を発行し「新聞の父」といわれる御仁です。 ×  ×  × ざっと彼の略歴を紹介する。 ジョセフ彦は、天保8年(1837年)8月21日、播磨国加古郡(現在の兵庫県播磨町)に漁師の子として生まれる。13歳のとき、海で遭難し約2ヶ月間の漂流の末、米商船オークランド号に救助され、1851年サンフランシスコに着く。1852年、米国政府はこの彦らを日に送り返し、国交の糸口を掴もうと、ペリー艦隊にマカオで乗船させようとしたが、ペリーの入港が遅れてため、再びアメリカに渡る。 サンフランシスコで着き、税関長サンダースの知遇を得て、教育を受ける。1854年キリスト教の洗礼を受け、1858年にはアメリカに帰化する。 1859年(安政6年)、21歳でタウンゼント・ハリス(1804年―1878年)

    schrift
    schrift 2009/03/24
     元治元年6月28日、岸田吟香、本間潜蔵らの助けを得て『海外新聞』発行。当初手書き5部。翌年整版印刷となり、初版から26号まで発行。100部程度を印刷。慶応2年の横浜大火で居留地の4分の1が焼失、終刊。
  • 近代新聞と瓦版~大江戸情報ネットワーク - 今日は何の日?徒然日記

    明治五年(1872年)2月21日、日で初めての日刊新聞『東京日日新聞』(現在の毎日新聞)が創刊されました。 ・・・・・・・・ それまでの、主に『瓦版』を中心にした日の情報メディアは、江戸時代の末期、近代新聞として大きな変貌を遂げます。 安政四年(1857年)に、上海でイギリス人が発刊していた漢字新聞『六合叢談』を、幕府が翻訳し、文久の始めに出版した物が、日初の新聞とされています。 しかし、これは、なんだかんだ言っても、外国のを丸写ししただけ・・・やがて、元治元年(1864年)の4月に、岸田吟香・浜田彦造・間潜蔵の三人によって、日人の手による最初の新聞・『新聞誌』が創刊されます。 最初は、印刷の予定もなく筆写での出版だった新聞誌も、翌年には『海外新聞』と名前を改め、木版印刷となりますが、最初の固定購読者が二人という悲惨な物でした。 ・・・というか、この三人・・・作るのはいいが、売る

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