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毎夕新聞に関するschriftのブックマーク (1)

  • 高畠藍泉の時代

    「明治最初の文壇小説家は高畠藍泉だ」と、高らかに宣言したのは柳田泉であった(「高畠藍泉伝」、『續隨筆明治文學』所収、1938年、春秋社。初出「明治文化研究」第1輯、1934年2月)。為永春水、万亭応賀、条野採菊、仮名垣魯文等の所謂幕末遺老とは一線を劃していて、作家として物を書き始めたのは明治以降であり、明治10年以後の明治文壇の代表的作家は高畠藍泉を措いて他にはないという主張である。しかし、以後長きに渉って藍泉に関する研究は進捗しなかった。唯一、興津要が幕末開化期に着目した精力的な仕事の中で「三世種彦(高畠藍泉)研究」(『転換期の文学』所収、1960年、早稲田大学出版部)を著し、藍泉の作『巷説児手柏かうせつこのてがしは』と『蝶鳥紫山裙模様てふとりつくぎのすそもやう』とが、解説付きで一般向きに公刊(明治文学全集2『明治開化期文学集(2)』所収、筑摩書房、1967年)されたに過ぎなかった。とこ

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