読み物とこれはすごいに関するscissorのブックマーク (3)

  • 個人史は終焉しない。続く。

    ある個人氏の終焉、と言う文章を先日読んだ。男女が出会い、子供を妊娠した、と言う話だ。 私は十代のころに子宮筋腫が出来、そして手術を受けた。不妊の傾向はあるだろう、と言う診断もその時受け、定期的に通院している。 私は子どもの頃から、よく人のことを聞く人間だった。勉強はするもので、ご飯はべるもので、部屋は綺麗にするもので、結果は収めるものである、と。自分の生の意味を考え始めたのは思春期の頃だ。大概、親のために、社会のために。上手に生きるため、に収束した。私は常に落胆した。酷く憂に毎日を暮らした。したいことは何も無かった。酒を飲み、寝て、を読んだ。しかし私は何者にもなれなかったし、ならなかった。なる事を選ぶことすらしなかった、出来なかった。 学生のころに恋人と暮らすようになった。恋人といると安心はした。しかし、恋人は私の生に意味を与えてはくれない。私はその、その人が体験する、一部の風景でし

    個人史は終焉しない。続く。
    scissor
    scissor 2007/11/19
    子なし恋人なしわりと観念的という人間からすると、こういう考え方が一番しっくり来る。
  • Mellow My Mind - 「『あまえる』ということについて」を読んで

    「人はさびしいとおかしくなるネ」「人は自己欺瞞をかかえているとおかしくなるネ」「てゆか人がおかしくなる状況ってほとんどこの2つの複合技だよネ」なんてことを30年以上ぼんやり生きてきてなんとなく理解するに至りまして、さてそれでは自分のおかしいところをどうやってほどいていったらいいんだべ、とか思ったりしてるわけですが、たまたま手に取ったこのの一番最後に載っていた文章を読んでたいへんな衝撃をうけました。日語ということば (Little Selectionsあなたのための小さな物語)作者: 赤木かん子出版社/メーカー: ポプラ社発売日: 2002/05メディア: 単行このシリーズは、赤木かん子さんがテーマに合わせて、古今東西の名文家によって描かれたいろいろな短編を選んでまとめたものです*1。わたしが最も衝撃を受けたのは、「『あまえる』ということについて」という、筆者が幼い頃の思い出を重ねて宮

    scissor
    scissor 2007/05/16
    考えすぎるのは嫌いではない。ブクマ伸びてるなー
  • asahi.com :教育 - いじめられている君へ 広い海へ出てみよう:東京海洋大客員助教授・さかなクン

    中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。 でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。 広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサをべる、同じ種類同士です。 中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめ

    scissor
    scissor 2007/01/31
    素直で静かな文章
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