http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20061215/p1僕はこのエントリを見ていていろいろと思い出した。僕は一時期魯迅論を書こうとしていた。今でも魯迅論は書きたいな、と思いつつもなかなかできずに困っている。魯迅の『阿Q正伝』にはさまざまな書き込みが行われていた。そして、たぶん重要なのは、Arisan氏が引用している「ノラは家出してからどうなったか」という文章である。しかし、ものの道理から考えてみますれば、ノラは実際にふたつの道しかなかった。堕落するか、そうでなければ家に帰る、それより仕方がなかったかもしれないのであります。と申しますのは、かりに一羽の小鳥がいる。籠のなかでは、むろん、不自由である。だが、ひとたび籠から外へ出ると、そこにはまだ鷹やら、猫やら、そのほか、さまざまなものがおりまして、籠で育って羽の力も抜けているし、飛ぶことも忘れているとすれば、何とも行くべ
先日のエントリ、「母子加算の廃止と労働・出産インセンティブ」 http://d.hatena.ne.jp/dojin/20061202 に対して、mojimojiさんから批判を頂いた。 生活保護・母子加算廃止問題 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20061204/p1 そしてコメント欄でも長々とやりとりをさせていただいた。私が何を言いたいのかはおいておくとして、mojimojiさんの議論の軸はしっかりしていて、それは一言でいえば、「就労インセンティブの議論と生活保護で保障すべき最低水準の議論は区別できるし、区別しなければならない」というものだ。問題はここでいう「保障すべき最低水準」とは何か、というものだ。mojimoji氏の文章を読む限り、mojimoji氏が寄っているのは、後藤玲子氏の論文である。 そこで、ちょっと回り道になるが、私もmojimoji氏もたび
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