昨日は風邪気味で、熱こそ出てないもののずっと調子が悪く、今日は無理かもしれないと思いつつ、ビタミンCをボリボリ食べてから床に就いた。朝起きたら思いの他よくなっていた。起きたのが少し遅かったので間に合わないかもとも思ったが、出かけることにする。9時ちょっと前に長居公園に到着。既に周囲はバリケードで囲まれていて、警備員が取り囲んでいる。人だかりもできている。以後、12時頃、テント村が完全撤去されるまでの一部始終をずっと見ていた。事の経緯などは「釜パトブログ」などを見てほしい。 【追記】 また、今回の行政代執行にあたり、野宿者と支援者たちが取った行動、その意味などについては、Arisanのノートを読んで欲しい。付け加えるべきことはほとんどない。 野宿者はわがままだ、という声もある。物を知らない人は簡単にこういうことを言う。その人が怠慢だから、ということもあるのだろうが、同時に、行政が不誠実な(ほ
ところで皆さん、「ビックイシュー」って雑誌ご存知ですか? 別にマンガや特撮の雑誌じゃありませんよ。これ、雑誌といっても書店売りではなくて路上で野宿者(ホームレスといってほうがなじみはあるかも知れませんが、なんかこの言い方のほうが良いようで)の人が売っている雑誌です。 http://www.bigissue.jp/index.html こちら、御覧頂けばお解かりかと思いますが、野宿者の自立を助ける目的で発行されている雑誌です。都市部の繁華街に限られた販売ですので、目にする機会がない方もいるでしょうが、私は新宿に通勤してますので、結構買ってます。読み物としても面白いですよ、少なくとも何倍もの値段とって重たいだけの広告だらけの女性誌よりずっと面白いです。 これ買っているからと言って、別に私はホームレス支援団体に入っているとか、週に二回炊き出しや夜回りしているとか、んなことはなにもないっす
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20061215/p1僕はこのエントリを見ていていろいろと思い出した。僕は一時期魯迅論を書こうとしていた。今でも魯迅論は書きたいな、と思いつつもなかなかできずに困っている。魯迅の『阿Q正伝』にはさまざまな書き込みが行われていた。そして、たぶん重要なのは、Arisan氏が引用している「ノラは家出してからどうなったか」という文章である。しかし、ものの道理から考えてみますれば、ノラは実際にふたつの道しかなかった。堕落するか、そうでなければ家に帰る、それより仕方がなかったかもしれないのであります。と申しますのは、かりに一羽の小鳥がいる。籠のなかでは、むろん、不自由である。だが、ひとたび籠から外へ出ると、そこにはまだ鷹やら、猫やら、そのほか、さまざまなものがおりまして、籠で育って羽の力も抜けているし、飛ぶことも忘れているとすれば、何とも行くべ
2006年12月10日放映のNHKスペシャル「ワーキングプアII 努力すれば抜け出せますか」は、前作「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」の第2弾。 非常に戦闘的な、言い換えると論争的な中身だった。 前作はワーキングプア(働く貧困層。生活保護水準以下ととりあえず規定されている)の実態とそれを生み出す構造を描いた。これにたいして、「II」はもちろん引き続きワーキングプアの実態を描くのだが(前作に1400通もの反響があり、キャスターの鎌田自身も未曾有の経験だという)、サブタイトルにあるように「努力すれば抜け出せる」という議論に、ルポを通して反論している。 「努力すれば抜け出せますか」という疑問、そして反語として。 「ワーキングプアといっても、努力すれば抜け出せるではないか」――これは自己責任論にもとづく最も有力な議論である。実際にインターネット上でも前作への反響としてこのような議論
雪斎が最も大事にしている映画『炎のランナー』 (Chariots of Fire、監督/ヒュー・ハドソン)には、主人公であるユダヤ人青年、ハロルド・エイブラハムズの親友として由緒ある貴族の青年、アンディが登場する。アンディは、広大な屋敷の庭にハードルを並べて練習する折、執事に命じてシャンパンを満たしたグラスを各ハードルの端に置かせ、「シャンパンをこぼしたら教えてくれ」と伝えるのである。このシーンは、映画全編の中でも最たる高雅さを漂わせるシーンである。 ハロルドは、英国社会で絶えず差別される立場にあったユダヤ人青年であった。だから、彼は、走ることで自分の存在を証明しようとした。そして、彼は、1924年パリ五輪で国旗掲揚台の中央にユニオン・ジャックの旗を揚げるのである。陸上競技引退後のハロルドは、弁護士、ジャーナリスト、陸上競技界の重鎮として活躍し、尊敬される人生を送った。英国社会で恵まれない
先週の土曜日のことです。夜九時半ごろ、駒場東大前駅のホームでいかにもホームレスらしき風体をした老婆に金を貸しました。まずはそのいきさつから説明します。 僕がホームに立っていると、いきなりベンチに座っている老婆から「あなた東大生?」と聞かれました。「うん」と答えると、「私に千円貸してちょうだい」と云ってきました。どうせ返せないだろう、と思って「どうやって返す気なんや」とたずねると、私の身分証の番号と住所を控えてくれ、と云ってきます。家があるのかと聞くと、「ある」と老婆は答えました。どこにあるのか、と聞くと「USAエアフォース」と英語で答えます。老婆の言葉には、不自然に英語が混じっていました。 老婆の外見はピンクのフリースを着て、半ズボンにサンダルを履いていました。大きなビニール袋を三つ持ち、そこには荷物がたくさん入っていました。髪の毛はずいぶん薄くなっていて、ボサボサです。顔は日焼けで茶色く
dojinさん、2006-12-05 - 研究メモより。 ・・・mojimojiさんの議論の軸はしっかりしていて、それは一言でいえば、「就労インセンティブの議論と生活保護で保障すべき最低水準の議論は区別できるし、区別しなければならない」というものだ。問題はここでいう「保障すべき最低水準」とは何か、というものだ。 「保障すべき最低水準」を「潜在能力」としてみたときに、例えば後藤氏はそこに「就労意欲、コミュニケーションへの意欲」といったもの(ある種のやる気)を含めていて、その場合には、「就労インセンティブの議論と生活保護で保障すべき最低水準の議論は区別できるし、区別しなければならない」が成り立たない。・・・とdojinさんは続ける。僕の立場は、そうしたある種のやる気のような、その人の内面的なものを潜在能力に含めるな、というものだ。それは忌避されるべきパターナリズムでしかないからだ。少なくとも、
先日のエントリ、「母子加算の廃止と労働・出産インセンティブ」 http://d.hatena.ne.jp/dojin/20061202 に対して、mojimojiさんから批判を頂いた。 生活保護・母子加算廃止問題 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20061204/p1 そしてコメント欄でも長々とやりとりをさせていただいた。私が何を言いたいのかはおいておくとして、mojimojiさんの議論の軸はしっかりしていて、それは一言でいえば、「就労インセンティブの議論と生活保護で保障すべき最低水準の議論は区別できるし、区別しなければならない」というものだ。問題はここでいう「保障すべき最低水準」とは何か、というものだ。mojimoji氏の文章を読む限り、mojimoji氏が寄っているのは、後藤玲子氏の論文である。 そこで、ちょっと回り道になるが、私もmojimoji氏もたび
「服役囚の4分の1が知的障害者」が意味するもの 山本譲司氏(福祉活動家・元衆議院議員) マル激トーク・オン・ディマンド 第296回 秘書給与の詐取で実刑判決を受けた元衆議院議員の山本譲司氏は、知的障害を持つ服役囚の介護が服役中の仕事だった。国会議員から一気に受刑者へと転落した時点で、ある程度の覚悟はできていたとは言え、そこには「服役囚の4人に1人が知的障害者」という驚くべき現実が山本氏を待っていた。 約1年半の刑期を終え出所してきた山本氏は、福祉の仕事に携わりながら、知的障害者の犯罪の実態を調べ始めた。そしてそれを一冊の本にまとめたものが、近著「累犯障害者」だった。その中で山本氏は、実社会では生きるすべを持たない知的障害者たちが、繰り返し犯罪を犯しては刑務所に戻ってくる様を克明に描いている。犯罪といってもほとんどが「しょんべん刑」と呼ばれる万引き、無銭飲食、自転車の盗難などだ。そしてそうし
まずは予備知識として。 『財政審建議 歳出削減、聖域なし 生活保護、母子加算を廃止』(産経 11.22) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061122-00000000-san-pol 歳出削減については、社会保障の項目で、失業給付に関する雇用保険の国庫負担について、「廃止を念頭に抜本的な改革を行うべき」とした。また、生活保護手当の母子加算は「一般母子世帯との公平性から妥当とはいえない」と、就労支援を条件に廃止を求めた。 そして厚生労働省も。 『生活保護費、母子加算3年で廃止 厚労省方針』(朝日 11.30) http://www.asahi.com/life/update/1130/003.html?ref=rss 厚生労働省は29日、国費ベースで約2兆円の生活保護費を来年度予算で400億円削減する方針を固めた。一人親の家庭の給付に一律上乗せしてい
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