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お笑いと考え方に関するsds-pageのブックマーク (5)

  • 誰かを貶める笑い - やしお

    新しく始まったアニメ「アフリカのサラリーマン」の第1話をこの前見て、「誰かを貶めることで発生する笑い」みたいなのはもう、見るのがしんどいなと思った。 二足歩行の動物たちのコメディで、電車で通勤していたサラリーマンが女子高校生によって痴漢にでっち上げられそうになるというエピソードが前半に流れた。サラリーマン(オオハシ)は女子高校生(ゴリラ)に向かって「鏡見ろブス」と言う。またサラリーマンの同僚(トカゲ)は、オオハシがスマホでデリヘルのウェブサイトを見ているのを女子高校生に示し「こいつのスマホを見て下さい。素人JKには興味ないんです。プロのババアにしか反応しないんです。(だから痴漢はしていない)」と擁護する、オオハシは「人の性癖ばらすのやめてくれる?」と怒る、という場面だった。 また後半では、合コンに出席したオオハシ(男)が、相手側の女性がみんな可愛かったので遅れている最後の一人にも期待してい

    誰かを貶める笑い - やしお
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    sds-page 2019/10/11
    サウスパークとかシャルリー・エブドとかと地続きなんだよなこれ。自分達が不快になった時に始めて声を上げるのか。誰かを不快にするようなものは芸術じゃないとか税金を使うべきじゃないとかって話にも正当性が
  • ブルゾンちえみやレインボーこそがこれからの笑いだという意見 - あざなえるなわのごとし

    shiba710.hateblo.jp 「笑い」は、いじめやハラスメントと隣り合っている。それはれっきとした事実。少なくともかつてはそうだった。「愛があるからOK」なんて擁護がされたりもした。 でも、やっぱり時代は変わりつつある。誰かを「いじる」ことは急速に「笑ってはいけない」ことに、そして「笑えない」ことになってきている。 自分がこの記事を読んで感じたのは「ユースカルチャーであるロック音楽を聴くライターとして自分が受容するコンテンツに対して『正しさ』を求め始めたら色々終わってる」ってことなんですが。 【スポンサーリンク】 ポリティカルコネクトレスとロックと なにせロック、パンクってのは若者が喜ぶコンテンツに対し「正しさ」を求める親が眉をひそめるもの。 若者は正しさよりその場の快楽。 ギターのディストーションノイズ、中指を突き立てアナーキズムを叫ぶファッション。 正しさなんて二の次三の次。

    ブルゾンちえみやレインボーこそがこれからの笑いだという意見 - あざなえるなわのごとし
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    sds-page 2018/01/10
    ポリコレが徹底された社会になるのか万人の万人に対する闘争になって形骸化するのか
  • カンニング竹山のすべらず切ない話を笑う意味 - あざなえるなわのごとし

    ninicosachico.hatenablog.com ポリコネポリコネ。 ポリティカルコレクトネスを盾にすればどんな意見も許されるのかねぇ……。 ポリコネ話なんて普段触れないんだが、今回はお笑いが絡んでる上にあまりにひどいので。 【スポンサーリンク】 ねぇ、今カンニング竹山がした「急死した前田健が親友の竹山を好きだったのを葬儀で前田の父から『息子は当に君の事愛してたんだよ!』と告白された」って話、これって笑える?もし亡くなったのが女性だったら美談か、少なくとも笑わないよね?男同士だから笑うんだとしたらひどいよ…#すべらない話— ふつうの桜島ニニコ (@sakurajimanini) 2017年1月7日 なんかそもそも前提からして間違えてる気がするんですが、マエケンが竹山を好きだってのは生前から山ほど行ってた定番話なんですよ。この話を竹山がし始めたときに「あー、そーいえば言ってたなー」

    カンニング竹山のすべらず切ない話を笑う意味 - あざなえるなわのごとし
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    sds-page 2017/01/12
    今はインターネットもあるし楽屋話前提の笑いは厳しくなっていく
  • 爆笑問題はなぜ“つまらない”ボケを繰り返すのか? 太田光の「テレビ論」(てれびのスキマ) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    ここ数週間の『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)では、ある爆笑問題への批判記事に対する反論を太田光が繰り返し行っている。 それは聴く人が聴けばみっともない野暮な行為かもしれないが、それ故、芸人あるいはテレビタレントととしてのプライドがにじみ出ていてとてもカッコいい。 また、その反論の中で『サンデー・ジャポン』(TBS)は「全員で時事ネタ漫才をやる」というコンセプトで立ち上げたなどと思わぬ貴重な証言が飛び出したりもした。 中でも、爆笑問題の漫才の構造について語った内容はそのまま「テレビ論」になっており興味深いものだった。 先の批判記事に限らずよく爆笑問題の漫才に対する批判としてあげられるのは「ストーリー性がない」ということだ。基的に「時事ネタ漫才」のため、短い時事ネタを連ねている。そのつなぎの部分が甘いというものだ。これは実際人もそのために覚えにくいなどとネタにしたりしている。だが、こ

    爆笑問題はなぜ“つまらない”ボケを繰り返すのか? 太田光の「テレビ論」(てれびのスキマ) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • バカリズムのコントが酷かった件について - 限りなく透明に近いふつう

    今さらですが年末年始の話を。 私は普段からテレビを見るのが大好きなのですが、この年末年始はいつにも増してごろごろとテレビを駄観ってたように思います。 あ、「駄観る(だみる)」というのは私が作った動詞で「なんとなく点いているテレビを惰性で無駄に長く観る行為」を意味します。便利なのでよかったら使ってくださいね。 私は普段テレビは「頭を使うドキュメンタリーや情報系番組」と「頭を休める娯楽番組」で半々くらいの割合で観るようにしているのですが、年末年始は娯楽番組の数が圧倒的に増えるので、自然とそのバランスが偏り、お笑い芸人の姿ばかり見ていたように思います。 それでふと思ったのは、なんだかこのごろのお笑いは「面白くない」どころか「不愉快さ」を感じるものが増えたなぁということ。 いま、自分でも「すごい安っぽくて、なおかつ沢山の反感を買いやすい一文」(安くて沢山買えるからある意味コスパ優秀)を書いた自覚が

    バカリズムのコントが酷かった件について - 限りなく透明に近いふつう
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    sds-page 2016/01/14
    同じような理由でロンドンブーツが今後どんなにいい人ぶろうと許すつもりは一切ない
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