俺は豚だ思うんだよな 脳が発達してるからこその人間だし、 豚の脳では二足歩行もできないはず 複雑な思考もできないし、感情も豚レベル 見た目が人間でも、やっぱりそいつは豚だと思う みんなはどう思う?

追記:ブコメへ「だから " 意思というか " と一番最初に保留にしてるだろ。読み取れないのか?なんと言えば良いのか非常に悩ましいんだよ。哲学的ゾンビとでも言えば良いのか?なんか良い名称を付けたい。こういう人が身近に居るヤツいない?誰も俺に共感できない?」 追記:ブコメへ「妹は離婚して帰ってきてからずっとこんな感じ。ゲーム依存になる前から違和感があり、最近言い合いが増えてタイトルに至る。妹が嫌いだという自覚はあるよ。仕事は探してるってさ。これまでは妹みたいなタイプは避けてたから深く考えてなかった。最近はずっとなんでこんな感じなんだろうと考えてる。何度も言うけど魂は単に言いやすいから言ってるだけ。別の表現でも良いけどとにかく人間として大事な部分が欠けてると感じる」 追記:ブコメへ「両親は妹に反論されると黙るし俺も反射的に言い返せない事もあるし、何より延々と反論してくるので弁が立つと表現したが、
秋元康によれば世の中の歌の9割は 恋や愛について歌った恋愛ソングらしい ならば残りの1割のなかで哲学的な歌詞の歌はないだろうか?
天国とか地獄とか強く信じてた事はないけど、うっすらと怖えーなと思ってた時期もあったような気はする。 四六時中死にてぇ〜〜〜って気持ちがまとわりつくようになってからは、天も何もなく「無」なんだろうなってかなり強く思うようになった。気がする。願望も混じってるのかもしれない。 願望で言ったら異世界転生して、生活シーンはカットされて心が動く瞬間だけを永遠に過ごし続ける物語の世界に行きたいんだけど。 意識の連続性とかそういうのも興味は薄れた。死んだらそこで終わり。それ以上の事は何も思わなくなった。宇宙の端っこについては未だに疑問に思ってる。あると言われても無いと言われてもおれの認識ではバグる。 無に帰すのが怖いとか、意識の断絶が恐ろしいとか、いつか誰からも忘れられてこの世にいなかったかのような存在になるのが怖いとかも、もうとっくに思わなくなった。でもそういうの考えてた時期は逆説的に生きるという事を考
自分でもちょっと不思議な話。 どちらかと言うと太陽を見るとくしゃみがでるような話に近い。 死ぬのってなんで怖いのかなって思ってたんだけど、なんとなく、その後に永遠が待っているかもしれないって感じるのが怖いのかなって思うようになった。 終わりが怖いのではなくて、永遠の終わりが怖いのではないかということ。 つまり、怖いのは永遠であって終わりではないのではなかろうか。 そう考えたときに、宇宙だって始まったのだから終わりがあるはずで、例えばエントロピーが無限に増大してしまって宇宙が単一の何かになってしまえばそこで時間は止まるはずで、あぁ、宇宙も終わるんだったら自分にとっても永遠の終わりはないんだなって思うと、死ぬのが怖くなくなったように感じた。 論理的な話をしたいのではなくて、死を考えるときに心の隅に湧いてくる恐怖心が、こう考えると何故か和らいだよという報告。 自分でも論理は破綻しているように思う
仏の教えは合理的。基本的な理屈の前提となっているのは、この世界には「因果関係」があって、あらゆる物事は因果関係の連鎖で成り立っていますってことだけ。 ・絶え間ない因果関係の連なりがあるから「諸行無常」。諸行無常ってのは、あらゆる物事は変化し続けているってこと。 ・諸行無常な世界を普通の人間が経験すると、「一切皆苦」と感じる。あらゆる物事が変化し続けているってことは、やがては人の望まない状態になり得るし、たいていはそうなるから。人生には「四苦八苦」がつきもの。 ・普通の人間は、永遠不変の私がいることを素朴に信じていて、その『私』に強く執着している。しかし実際は、「諸法無我」。つまり、永遠不変の私は存在しないということ。なぜなら、私はこの世界の一部であって、世界の一部であるからには因果関係の連鎖によって一時的に立ち現れている物事でしかないから。身体も五感も思考も欲求も一時的に立ち現れているもの
真面目な話をできる場所が無くて寂しい。 私自身は別に真面目というか単に興味のある事について語り合いたいだけなのど、一般的にはマジメで退屈、拗らせてるとか一蹴されてあまり興味を持たれないような話。 美とはなんぞやとか、美味しいメシを定義できるのかとか、世界平和は果たして実現できるのかとか。 古代ギリシャ人が暇すぎて哲学を始めたように、暇な時にふと考えるような素朴な疑問みたいな事について話し合いたい。 日常生活で周りの人間に真面目な顔してそんな事を言い出したら、雑に流されるかキチガイと思われて終わり。 だからネットとかで気楽にやれたらいいなって思う。私に近い内向的な人も多いはずだし。 しかし色んなサイトはあるけれど、どうにも喧嘩腰な人が多い。5chの哲学板は(5ch自体)過疎らしいし。 あと私がやりたいのは別にラップバトルではない。 一面的な正論や、正論ですらないリリックを並べ立てて正論感を競
中庸とは:過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。中正。中道。 言葉の意味としては読んで字のごとく。 偏りのないバランスの良い人間になりなさいという教えらしい。 それに対する先輩独自の解釈がなかなかに面白かった。 きっかけは、仕事で行き詰まったときに上司から「お前は極端すぎる」と指摘されたことにある。 先輩に何かを期待していたというわけでもないが、飲みの席で愚痴ってしまったことからこの話が始まった。 「特技を伸ばすことは悪いことではないのに、どうして出る杭は打たれるんですかね」 自分でも悔しさの滲んだ愚痴だったと思った。 そこで先輩の口から「中庸」という言葉が発せられた。 「中庸っていう教えがあって、何事もバランスがよいことが大事らしいよ」と。 最初は、そうやってこの人もこちらのアンバランスな部分を叩いて直してくるつもりなのだろうと思った。 しかし、続く先輩からの質問はそうではな
今日、35歳になった。 予定より5年も長生きしている。 27ぐらいになったらニートになって、そのあと創作活動に打ち込み、失敗したらそこで死ぬ予定だった。 27にニートになる所までは予定通りだったが、創作活動は3ヶ月ぐらいで行き詰まって気付いたらずっとゲームをしていた。 どうせならゲームやりまくって死ぬかと思っていたが、更に3ヶ月ぐらいでゲーム三昧にも飽きた。 年齢的にまだまだ準第二新卒ぐらいの立ち位置で就活が出来たので就活をし、結局ニート半年・就活生半年で社会人に戻っていた。 そこからダラダラ生きながらどこかで「でも予定だと死んでたし、また金溜まったらニートに戻って死ぬか」と思って暮らしていた。 そこから7年働いて、まあ2年ぐらいならまたニート出来るぐらいの金は溜まっている。 この年齢で2年ニートしたら日本での再就職は厳しいだろうな。 そもそも創作意欲がもう何も残ってない。 どうでもいい。
よく考えたら、Twitterとかはてブって現実世界に実在しないんだよな 自らの意志でそこを訪れたとき、言語によってのみ知覚しうる概念の世界なんだよな スマホを放り出したらどこにも存在していない、知覚すらできない世界のために悩んだり自殺したりする人がいる、って考えたら無性に怖くなってきた
俺は文章を書くのが好きで、なぜ書くかというと支配するために書いている。 これは自分の動機を色々な意味で乱暴に表現した言い方だけど、実際この通りで、俺は世の中のたくさんの物事がよくわからなくて、それを自分の言葉で自分自身のために説明し直すことが俺にとっては対象を屈従させたことと同じなので、それが理由で書いている。 一種の、そういう暴力的な方法でしか、この世界にある意味不明さと向き合えない。とにかく俺は「わかりたい」のだが、いまは、まるで真逆のことを言う。 「説明を受けてようやくわかった」 「感じていたもやもやを(自分の代わりに)うまく言語化してくれた」という意見を最近よく目にすることがあって、それを見かけるたびに、正直言うと少し嫌な気持ちになる。 俺自身が「わかる」ために言葉を並べることに憑かれているし、俺が書いたものを読んだり講義を聞いた人に「説明上手ですね」と言われると身もだえるほどうれ
36歳男。 今朝、死ぬ夢を見た。 路上で倒れて俯瞰視点になって誰も助けてくれない。 目が覚めてから走馬灯のように人生を振り返った。 結婚もしてないし女性とお付き合いした経験もない。学生時代の栄光もなければ仕事で活躍したりもしてない。そして今コロナで職場を追われその日暮らしをしているが、それでも悪くはないなと思えることも多かった。 幼少時に両親が離婚し、母親に育てられた。 2年の時だったか、「お父さんの仕事についてお話を聞いてきましょう」という宿題が出て、俺は母親に聞くしかなかったからそれを発表したら「何でお母さんなの?」みたいになって、教師の大したフォローもなく大泣きしながらそのまま帰った。 その日から不登校になったが、あの宿題の出来は結構良かった記憶。 文化祭のタイミングで教師がうちに来て、文化祭は来ような、みたいな感じになって「ふじまる」という相撲取りの役をやった。あれはイマイチだった
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』は以前テレビ放送で見ていたので Qがわかりにくいと批判されているようだけど、何がわかりにくいのかわからなかった エヴァの知識ゼロで見始めたけど、すごくわかりやすくて、すこしこっちが恥ずかしくなるような感じでもあった アニメだから許されるというか 残念だと感じるのは、なんというか、「そのまま作ってる」という感じで、作家としての成熟を感じないという点かな 表現が裸というか、描かれていることが痛々しいほどにわかってしまうというか おそらく大半の視聴者は宗教や哲学など全然知らないのだろうし、そういう人が見たらこういう作品には拒否反応出るのかなと思った この程度でわかりにくいと批判殺到するようじゃ日本で芸術家に居場所はないんだろうなと思った 教育の失敗だと感じた 高校までの勉強、大学受験の勉強がすべてになってしまっている 日本人の圧倒的多数はそれしか知らないし、他の世
・たぶん一生独身 恋人は10年以上いない。人とかかわるのがめんどくさい。 人を愛する素晴らしさは理解しているし、まっとうな人間には必要なことだとも理解している。 しかし生まれのせいとしか言いようがない。 煩わしい。 その感情だけを優先して生きている。 ・社会そのものが虚しい 右を向いても左を向いても毎日争いあってる。 建設的な議論なら歓迎だが大抵クソしょうもないビジネスのための火付けか、 馬鹿たちのストレス発散劇場か、権力の争い。 2020年前とたぶんやってること変わらずに科学技術だけ辛うじて前進し続けている。 ヒトが単純に幸福を目指そうとする社会や、同じ問題過ちを繰り返さないための学習というものを社会が行えていない。 その様をこの先ずっと見せられるのかと恐れてから我が家にテレビを置かなくなった。 私より知性的で賢いであろう大人たちが自分の立場と金のためにこどものような喧嘩を繰り返すのを見
人類70億人とかおってさ、少なくとも先進国ではかなりのテクノロジーを普段使いできてさ、明日の天気もわかるし、生命も作り出せるし、すごい遠くにある星のこともわかるし、地球の裏側と秒単位のラグだけで会話できるし、何というかもうすごいじゃない でも自我とか意識とかが何なのかいまだによくわかってないのってすごくねえか みんな賢しらに社会問題とか論じてるけど、自分の根幹がよくわからんものなわけじゃん それって怖くね? 俺も流石にそんな四六時中「俺とは一体……」なんて考えてるわけじゃないけど、昔はもっと考えてた。で、何で考えなくなったかっていうと別に何かがわかったからじゃないんだよな。 わからんし、まあいいか……っていう諦めなんだよ。俺は俺そのものであると言っていい自我が一体何なのか考えることを放棄しとる。 で、多分脳科学者とか以外みんなそうなんだよな。何なら脳科学者もそうかもしれない。 自由意志は存
この世界の魂の数は有限であり、輪廻を通じて循環している。 ときには昆虫であり、人間であるかもしれないが、地球の人口は可及的にに増加しているため、必然的に魂を持たない抜け殻が存在することになる。 まるでゲームのNPCのような存在であり、一見人間のように見えるが、人間らしく振る舞っているだけの存在だ。 ここでも一時期「腐女子だけど○○」という文章が流行ったが、あれはNPCの仕業だ。 NPCの振る舞いに多様性はなく、基本的に人間のように振る舞うために社会のトレンドを追って、集団的思考を追随する。 藤井聡太だ!半沢だ!という中にもNPCが多数混ざっているが、中でもLGBT問題はこのNPCが引き起こしているものだ。 彼らは何を見てもLGBT問題に発展させ、群れで社会を動かすが、主体性は持たず、個人の意見というものもない。 日本だといわゆるネトウヨもNPCだろうが、彼らは魂を持っていない。 お前に聞く
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く