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増田と思考に関するsds-pageのブックマーク (3)

  • 発達障害の私がちょっと気付いたこと

    誰かに話すのも難しいのでここに置きます。 文章が下手なのにはご容赦ください。 簡単な自己紹介を。私はASDADHDを併発してるタイプの発達障害者です。 色々な紆余曲折を経て、現在は特例子会社の障害者枠で働いています。 私が今回お話したいことは「誰かに自分の気持ちや意図をしっかりと伝えることが可能である」ということ自体に、高校生になるまで気づけなかったことです。 色々自分の障害や特性について考えていて、「ああ~、そうだったんだ!」とさっき気付きました。 私は昔から「マイペース、のんびりしてる」と認識されてました。小学校では徐々にハブられて、小学校高学年頃から中学生頃にはいじめられました。幸いにもちょっかい程度のいじめであって、私自身でやり返したり、言い返したりして不登校には至りませんでした。むしろいじめっ子くらいしか関わってくれなかったので、つまらない学校の良い刺激として捉えていたかもしれ

    発達障害の私がちょっと気付いたこと
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    sds-page 2024/06/19
    子供の頃は喜怒哀楽以外にもいろいろな感情あった気がするけど「喜怒哀楽」って単純なラベル分けを続けるうちに感情表現も単純化した気がする
  • 年間200本を部屋にブチ込む。

    今、映画を年間200見るという人の記事が話題になっている。 「数の問題じゃない。自分の頭で考えない評価に価値はない」 「結局は個人の嗜好。嗜好の近い人の紹介するものを見ればよい」 色々な意見があり、どれも面白いしほぼ賛同するけれども。 この手の、「価値基準と評価」という事柄について、ずっと考えていることがある。 実家が割と清貧で、高校生までそれほど外経験がなかった。 大学に上がり、できた友人が美味いものが好きで、自分からみて驚くほど色々なところへ行き、楽しんでべていた。 サークルに同期がいて、彼もあまりに興味が無いタイプだったのだが、 サイゼリヤの「ミラノ風ドリア」が世界で一番好き、という。 「確かにミラノ風ドリアは美味い。コスパもいい。しかし、奴はサイゼリヤ以外の場所にあんまり行ったことがない」 と、べるのが好きな方の友人が言っていた。 好きの彼は、和洋中問わず、一度べれば

    年間200本を部屋にブチ込む。
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    sds-page 2016/02/19
    「結局は個人の嗜好。嗜好の近い人の紹介するものを見ればよい」これが全て。対話式でじっくり話詰められるならいいけど一方的な発信なら自分の好みを押し出すしかない
  • 知能を下げたい

    一切のものが紙に描かれた絵のように思える。人も、価値観も。別に理解されないのは構わないが、配慮されないのは少々つらい。といっても人々が僕に配慮すべきだということも思わない。ただみんなのように何かを信じ、人付き合いに価値を感じ、何かに熱中してゆければそれでよかったのに、と思う。人生に意味が感じられなくとも良い。流石にそこまでは望まない。せめて一瞬の楽しみさえ感じられればそれで満足である。だが任意の感情のセットが、ただそう感じたほうが都合が良いという程度の反応の集まりに過ぎないことを僕は知っているから、そんな楽しみが多少得られたとしてすぐに正気に返ってしまうのだ。残るのはただ虚しさだけである。 僕はものを考えることができる。考え続けることができる。そうした考え事の果てに、今の状態がある。僕のようになっていない人間はみなものを考えたことがないのだと思う。生物としてはずいぶん不適当な内的状態に陥っ

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    sds-page 2015/04/17
    その高い知能を人類の発展のために使えよ
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